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重巡洋艦鳥海 追撃戦 [重巡洋艦鳥海]

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 敵艦隊は、煙幕をはりながら退避を続ける一方で、
航空機に対して、2~3機の編隊で、分散攻撃を
かけたり、駆逐艦による砲雷撃戦を挑んでくるなど、
混乱しながらも、効果的に時間稼ぎを行っていました。

 (参謀長は、我が艦隊が受けた航空攻撃の中で、
もっとも巧妙だったと述懐しています。)

 午前7時30分、栗田長官は、重巡洋艦部隊に
対して突撃せよの命令を下しています。鳥海と
羽黒は、33ノットの高速をいかして、20cm主砲を
放っていました。

 この時、第七戦隊の旗艦熊野が、艦尾に魚雷を
くらったため脱落し、旗艦を鈴谷に変えましたが、
鈴谷も攻撃を受け、速力が20ノットに減少し、
追撃はできなくなりました。

 重巡洋艦部隊は、利根、筑摩、羽黒、鳥海の順に
並んで、敵を追い砲撃戦を続けました。この砲撃戦の
最中、先頭を走っていた利根が被弾し、一時退避しま
したが、すぐさま復帰し、筑摩の後に続いています。

 巡洋艦部隊は、この海戦では被害が相次ぎましたが、
ひるむことなく、砲撃を続けていました。そして、第十戦隊
(野分や雪風、磯風らの水雷戦隊)と共同して、敵を南西
方面に追いつめつつありました。

 午前8時30分頃から、敵の機動部隊は、航空機による
攻撃を再会しました。第十戦隊や金剛らは、対空戦闘に
おわれることになりました。

 ここで、敵軍は、追撃をしてくる重巡洋艦がもっとも脅威と
認識し、攻撃目標を重巡洋艦に定めました。

(追記)
 敵が猛攻してくるときの殿軍は、重要であり、かなり危険な
任務といえます。サマール沖海戦の、アメリカ軍の殿軍は、
かなり高いレベルで対応しており、見事といえます。

 日本軍も、利根ら重巡洋艦部隊は、かなりの活躍をしており、
この点は、褒められるレベルといえます。


紹介書籍:重巡「鳥海」奮闘記 武運長久艦の生涯  著者:諏訪繁治(すわしげはる)


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