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重巡洋艦鳥海 被弾し落伍 [重巡洋艦鳥海]

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 鳥海ら重巡洋艦戦隊は、敵を第十戦隊が待ち受ける
海域に追いつめることに専念していました。

 鳥海は、丁度、スコールで視界が妨げられたとき、
上空からの急襲を受けました。午前8時50分、
鳥海は、左舷中央に被弾し、落伍しました。

 続けて、筑摩が、艦の中央に、魚雷を一本受け、
航行不能となり、重巡洋艦戦隊から落伍しました。

 重巡洋艦戦隊は、勝利が目前に迫っていることも
あり、鳥海らの損傷艦のために追撃を中止することは
しませんでした。

 将旗を掲げる羽黒が先頭に立ち、利根が続いて
いきました。距離が近くなったこともあり、命中率が
上昇していきました。

 栗田長官は、海軍部に対して、「われ空母3隻に
砲撃中」と入電しました。戦艦の主砲が届く距離での
戦闘なら、日本軍に有利だと判断し、豊田連合艦隊
司令長官は、全軍に、「敵を猛追せよ」と下命しました。

 そして、栗田艦隊の戦果が、次々と入電してきました。
その中に、エンタープライズ級の空母3~4隻というものが
ありました。これらの戦果は、連合艦隊にとって、久しぶりの
朗報でした。

 ところが、栗田長官は、午前9時、被害は出ている
ものの、日本軍が有利に進めていた状況で、追撃中止を
命じています。

(追記)
 栗田長官の報告を受けた海軍部は、栗田長官が、戦艦に、
軽巡洋艦や駆逐艦を随伴させていることに、疑問を持って
いました。

 空母は、戦艦より速力があるので、追いつくはずはなく、
高速の軽巡洋艦や駆逐艦を、戦艦に随伴していては、
捕捉できないと考えていました(宇垣司令官も同様の
考えでした)。

 サマール沖海戦では、アメリカ軍の空母は軽空母なので、
速力は日本海軍でもっとも遅い長門より遅かったので、
捕捉できたというのが実態ですが、正規の機動部隊と
砲撃戦になっていたら、陸軍部の考えどおりになって
いたと思われます。


紹介書籍:重巡「鳥海」奮闘記 武運長久艦の生涯  著者:諏訪繁治(すわしげはる)


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