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重巡洋艦鳥海 大破する [重巡洋艦鳥海]

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 栗田長官の追撃中止の命令は、最前線で戦っていた
重巡洋艦部隊にとって納得のいくものではありません
でした。

 敵と砲撃戦を演じていた利根と羽黒は、敵から10km以内の
近距離におり、他にも戦艦榛名が敵空母第二群を発見して、
接近中でした。しかし、追撃により、艦隊自体が広く展開して
しまい、栗田長官はまったく状況を把握していませんでした。

 (レイテに突入することが目的で、この砲撃戦は意図した
ものではないので、適当にケリをつければよいと判断した
可能性があります)。

 しかしながら、追撃の中止は問題が多数発生しました。
一つが、広く展開していたため、集合するため2時間の時間を
要したことです。貴重な時間のロスでした。

 さらに、追撃中止の命令を出した段階では、敵機からの
攻撃を受けていたということがあります。そのため、敵の攻撃で
脱落していた鳥海は、さらに攻撃を受けることになりました。

 鳥海は、追撃中止の命令の50分後の午前9時50分に、
前部の機械室に爆撃を受け、大破しました。下甲板にある
機械室が破壊されたということは、甲板を貫いて、内部で
爆発したことを示しており、致命傷と言えます。

 鳥海の警戒のために、かつて鳥海の艦長を努めた
早川少将が率いる第二水雷戦隊から駆逐艦藤波が
派遣されました。

(追記)
 この時、脱落していた重巡洋艦は、鳥海の他、筑摩と
熊野、鈴谷がいました。筑摩については、駆逐艦野分が
ついています。筑摩も、この時は、鳥海と同様に破損して
いました。

 熊野は、早霜が警戒につきました。熊野は、この後、
1ヶ月も奮闘しており、まだ余裕があったと言えます。
 一方で、鈴谷は、誘爆により、この日のうちに撃沈して
います。


紹介書籍:重巡「鳥海」奮闘記 武運長久艦の生涯  著者:諏訪繁治(すわしげはる)


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