SSブログ

木村昌福中将 製塩事業を始める [木村昌福(きむらまさとみ)中将]

スポンサーリンク
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});



 海軍しか知らず事業を起こす術を知っている
わけでもない木村中将が、借家住まいを続け、
民間人に頭を下げてまで製塩事業を始めた
かったのは、部下に職を提供したいという
一心でした。

 地元の有志の心をつかみ、全面的な協力が
受けられることになりました。地元の人たちは、
木村中将の軍人時代から変わらぬ、分け隔てない
姿勢に感動して、協力したのだろうと思われます。

 技術協力については、地元の有志で賄える目途が
つきました。問題は、事業のための資金でした。
木村中将は、軍人時代から懇意にしている
高島氏の家を訪れました。

 高島氏に製塩事業のために資金援助してほしい
というお願いをすると、最初は、「武士の商法は
成功しない。私がやっている帆船の責任者に
どうですか」と誘われました。

 しかし、部下のために製塩事業をしなければ
ならないと固辞しました。高島氏は、「これで
おやりなさい」とお金が入った包みを渡しました。
木村中将は、中も見ないで受け取り、帰って
いきました。

 防府に戻り、包みを開けると、今の価値で
2000万円ほどのお金がありました。

 証文も書かずに、2000万円ものお金をポンと渡す
高島氏も、それを確認もせずに受取り帰ってきた
木村中将も太っ腹といえます。信頼関係の厚さの
証明といえました。

(追記)
 木村中将と高島氏は、木村中将が、中佐時代に
佐世保で勤務しているときに知り合っています。

 高島氏は、真珠の事業養殖に成功している方で、
長者番付にものるような資産家でした。高島氏が、
軍人関係者を招いて宴会を開いたとき、木村中将は
中佐として末席に連なっていました。

 この宴会後、木村中将は個人的に、返礼をした
ことから親交が生まれました。


紹介書籍:キスカ島 奇跡の撤退 木村昌福中将の生涯  著者:将口 泰浩(しょうぐち やすひろ)


スポンサーリンク



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。