SSブログ

木村昌福中将 組合の守訓 [木村昌福(きむらまさとみ)中将]

スポンサーリンク
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});



 高島氏から融資された資金を元に、「二の桝
塩田開発組合」を発足し、木村中将は、
副組合長に就きました。

 組合長は、塩業組合長が就任していますが、
その他の経営にあたっているのは、通信学校の
教師や生徒でした。

 この後、銀行の融資と、大蔵省専売局の
認可を受け、正式に塩田事業がスタート
しました。木村中将の日記に、組合の
守訓が記されています。そこには、

 信義誠実をもって一身を製塩報国に捧げよ。
 研鑽練磨もって業界の向上を図れ
 偕和(かいわ)協調もって事業の公正明朗を期せよ
 奮闘戮力(りくりょく)もって社業の発達充実につくせ
 士魂商才もって剛健闊達の社風に生きよ
となっています。

 儲ける事が目的ではなく、塩田経営を通いて、
国や業界のためになることが第一でありると
考えていたようです。


 経営は、塩が専売公社統制下だったことも
あり、順調でしたが、専売公社に納品している
だけでは、売りさばくことができず、厳しかった
といえます。

 木村中将は、自ら先頭に立って、売りさばき先を
開発する必要が出てきました。

(追記)
 数年後、かつて木村中将の部下3人が、木村中将の
ところに尋ねてきました。最初に驚いたのは、ひげが
なくなっていたことでした。木村中将は、かつての
部下に、「今は商人だよ」と答えていました。

 ここで、木村中将は、「我々が戦争したのは、国のため
となっているが、結局は家族を守るためであったと思う。
わしが、塩を作ることで、国のために尽くしているのは、
戦場で戦うことと同じことであると思う」と話しています。

 海軍で闘ったように国のために働くのが、海軍魂だと
考えていたようです。


紹介書籍:キスカ島 奇跡の撤退 木村昌福中将の生涯  著者:将口 泰浩(しょうぐち やすひろ)


スポンサーリンク



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。