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木村昌福中将 書道塾を開く [木村昌福(きむらまさとみ)中将]

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 木村中将は、塩を売りさばくにあたり、かつての
部下に手紙を送って、協力をお願いしています。

 海軍の関係者だけでなく、東北や関東にも
出張して、町役場に納入する道をつけるという
ようなことんまで行っていました。

 販売した後の集金も、木村中将の仕事でした。
木村中将は、営業活動に精を出していたと
いえます。


 木村中将の、このような生活に対して、潤いを
与えていたのは、書道でした。もともと書が好きで、
部下の転勤や昇進の際に、揮ごうした書を贈って
いました。

 木村中将は、書がうまいということは、塩田
関係者に伝わり、教えてもらうことになりました。
最初の稽古は、1946年でした。最初のうちは、
希望者にその都度教える出稽古の方式でした。

 1951年からは、毎週火曜日に書道塾を開いて
いました。もっとも、月謝は取っておらず、紙代だけ
受け取っていました。

 子供たちには、日曜日に、木村中将宅で開いて
いました。子供たちには、書道だけでなく、手本とした
瀬山陽、李白、杜甫などの漢詩を、書き終えた後に、
朗読するということもしていました。

 木村中将は、子供たちにも腰が低く、丁寧に
教えていました。もっとも、子どもたちは、書道が
終わった後のお菓子が目的だったようなところが
あったようです。

(追記)
 甘いものが不足していた時期なので、子供たちが
喜ぶのは当然と言えます。木村中将の妻貞子氏は、
スイカなどの果物や、駅前の菓子屋で買ったお菓子を
差し入れていました。

 木村中将は、子供たちに、軍隊での経験を話し、
「故郷を出て、外を見ることが大切意だ」と聞かせて
おり、子供たちの成長を楽しみにしていました。


紹介書籍:キスカ島 奇跡の撤退 木村昌福中将の生涯  著者:将口 泰浩(しょうぐち やすひろ)


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