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木村昌福中将 太平洋海戦最大の奇蹟 [木村昌福(きむらまさとみ)中将]

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 1957年(昭和32年)文藝春秋11月号に、
「太平洋海戦最大の奇蹟」というタイトルで、
キスカ撤収作戦の記事が掲載されました。

 記事を書いたのは、海軍の後輩であり、
記事を書くことを、木村中将に許可を得て
いるので、木村中将自身は記事が出ることを、
知っていましたが、誰にも明かしていません
でした。

 木村中将の次男、木村氣(きむらのぼる)氏も、
記事が出ていることを知らず、友人から聞かされ
ました。しかも、この時点で、氣氏は、木村中将が
キスカ撤収作戦を指揮していたことすら知りません
でした。

 後に、氣氏が木村中将にこの記事をもって会いに
行くと、「知らせようと思ったんだが、言わなかったんだ」
と話していました。

 書道教室の子供たちからも、この記事のことを
聞かれました。「先生は兵学校卒業成績はビリ
だったのですか」と聞かれ、「そうだ。本当の戦の
ことは、本に書いていなかったからね」と応じて
いました(ビリではなかったはずですが・・・)。

 木村中将は、いつも羽織袴で過ごしていたことから、
子供たちからは、剣豪の塚原朴伝のように見えたようで、
「朴伝先生」と呼ばれて、親しまれていました。

 このようなチャーミングな所が、あったからだと言えます。

(追記)
 木村中将の日記には、わずかに記述がありますが、
感想は入っていませんでした。自慢が嫌いな木村中将
らしいといえますが、記事を書いてくれた後輩には、
感謝していました(お歳暮に、干し鮎をお送っています)。

 記事の反響も大きく、手紙が殺到し、防府で撤収作戦に
関する講演まで行っています。このお礼に、品物が届け
られた時、日記に光栄の至りと記しています。


紹介書籍:キスカ島 奇跡の撤退 木村昌福中将の生涯  著者:将口 泰浩(しょうぐち やすひろ)


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