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木村昌福中将 塩業廃止 [木村昌福(きむらまさとみ)中将]

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 製塩事業は、戦前は、自給率20%くらい
でしたが、戦後は、各地で塩田が拡大して
いきました。

 1950年代からは、入浜式から流化式塩田に
転換され、これまでの10分の1の労力で、3倍の
塩が生産できるようになっていました。

 「二の桝塩田組合(開発の文字は抜けて
います)」も流化式に転換し、飛躍的に生産量を
伸ばしました。しかし、技術開発は、過剰生産を
引き起こし、整理廃止が進められることになりました。

 この措置は、「二の桝塩田組合」だけでなく、
防府市のすべての塩田が危機に陥りました。
木村中将は、専売公社と納戸の直談判しましたが、
容易にはいきませんでした。

 このころ、書には、「倚塩(いえん:塩に寄って
身を立てる) 木村昌福」と書くようになっており、
塩田経営に心底打ち込んでいた気概が込められて
いました。しかし、時流には逆らえませんでした。

 1959年11月30日、「二の桝塩田組合」は廃止され、
年内には、防府の製塩業がすべて廃業しました。

(追記)
 木村中将は、「個人の力ではいかんともしがたい時、
新たなる道を切り拓く勇猛心を出さねば。順調の時に、
偉そうなことを言って暮らすのは、誰でもできる。大変に
臨んで、人を導いてやることが大事なり。

 あとは、部下たちの若い人たちが、知力、体力を
総合してやっていく。大将たるものはそこに意義が
あるわけなり。」としています。

 木村中将は、塩業がうまくいかなくなることを想定し、
次のことを、考えていたといえます。そして、自分が
率先して行なうという決意をしています。


紹介書籍:キスカ島 奇跡の撤退 木村昌福中将の生涯  著者:将口 泰浩(しょうぐち やすひろ)


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