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木村昌福中将 胃がん手術 [木村昌福(きむらまさとみ)中将]

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 1959年、ブラジル行きを決意していた木村中将は、
8月に入り体調が悪化し、病院に入院しました。
胃がんでした。5年前に入院したときからあったもの
ですが、周囲は胃潰瘍だと告げていました。

 すでに、腹を手で触っただけでも、しこりがあるのが
分かるほどに膨らんでおり、末期症状でした。
手術する事も出来ず、退院することになりました。

 夕暮れに、書道教室の教え子と一緒に、塩田の
小道を歩きました。木村中将は、「余命は幾ばくも
ないけれど、どのように過ごすか考えているんだ。」
と話していました。

 木村中将は、11月になり義弟が医師として
勤務する千葉大学付属病院を訪ねました。
千葉大学病院は、胃がんの権威とされて
いました。

 義弟に、「面白い話がある。僕は胃がんなんだ。
見込みを聞きに来た。手術はやるか。」と言い放ち
ました。

 義弟は、「やると言われるならやる。しかし相当
難しい。」と答えると、「後の医学とお前のために
役立つならばやる」と返答し、そのまま入院となり
ました。

 11月17日に、手術が行われました。そして、この
入院中に、「二の桝塩田組合」は廃止されることに
なりました。

(追記)
 木村中将は、自身が重い病気にも関わらず、何かに
つけ、同室の患者の面倒を見ていました。

 義弟も、痛い時は、痛いと言って言っていい。痛み
止めの薬はなんかいっぱいある。」と言いましたが、
「隣の患者は苦しそうだから、診てやってくれ。」などと
言い始める始末でした。

 後の医学に役立つならやるという言葉も、上記の
言葉も木村中将らしいといえるものです。


紹介書籍:キスカ島 奇跡の撤退 木村昌福中将の生涯  著者:将口 泰浩(しょうぐち やすひろ)


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