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木村昌福中将 木村中将息を引き取る [木村昌福(きむらまさとみ)中将]

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 手術後、木村中将の元には、見舞状が
届きました。

 木村中将の同期で親友の草鹿龍之介氏は、
「ブラジル渡航の意向ありとの報告を得、老来
ますます壮なりと感嘆いたしておりしところ、
誠に残念なる次第です。

 しかし、経過良好とのとのこと、まず何と申しても
不幸中の幸いとお祝い申し上げます。まず、一応
ブラジル行きは断念、全力をあげて長生きすること
こそ第一義と存じます」としています。

 その他にも、防府の書道教室に通っていた教え子
からも届いていました。

 この中で、木村中将を、「おじいちゃん」と呼んでおり、
東京の病院に入院しているのでお見舞いに行けない
ことを残念に思っていることを、したためています。

 お正月の書初めにも出そうと思っているので、
早く良くなって防府に帰ってきてください。と
結んでおり、励まされる手紙でした。

 しかし、年を越した1960年(昭和35年)2月13日の朝、
トイレで倒れているところを同室の患者が発見しました。

 妻の貞子氏が駆け付けた時は、すでに意識は
ありませんでした。午後1時45分、木村中将は
静かに息を引き取りました。68歳でした。

 2月21日に、鎌倉の英勝寺で、葬儀告別式が
営まれ、「春厳院泰徳瑞雲昌福居士」の
戒名が送られました。どの字からも、
木村中将の人柄が表れるような戒名
といえます。

 出棺の時、晴れていた空が、通過していた前線の
影響で、急に曇り、日食にあったような暗さとなりました。

 参列者は、天も木村中将の死を悲しんだのだろうと
囁き合っていました。


紹介書籍:キスカ島 奇跡の撤退 木村昌福中将の生涯  著者:将口 泰浩(しょうぐち やすひろ)


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