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駆逐艦萩風 岩上艦長 [駆逐艦萩風]

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 萩風の岩上艦長は、ミッドウェー海戦前に
退艦した井上艦長の後任として、萩風に
着任しています。温厚な人で、滅多に
人を叱るような事をしない方でした。

 ガダルカナル島からトラック島に引き上げる
途次、戦死者の水葬をするときは、艦長は
正装をして目を真っ赤にしていました。

 死体を包んだ毛布を一つ一つまくって、
死体をあらため、丁重に見送っていました。

 トラック島で、応急修理を受けている間、
岩上艦長は退艦し、後任の畑野健二中佐と
交代しました。

 萩風は、トラック島で応急修理を終えた後、
1本のスクリューのみで、本土に向かいました。

 しかし、八丈島付近で、その1本の推進軸が
脱落し、東京湾から迎えに来た駆逐艦峯風
に曳航され、横須賀に帰投する事が
出来ました。

 浦賀のドックで修理と員員補給を急ぎ、
整備を完了して再び出撃できるようになった
のは、1943年7月でした。

 萩風の修理に、1年近くかかった事になり
ます。修理が完了すると、ラバウルに向けて
出撃しました。

 萩風が、この後本土に戻る事はありません
でした。これが最後の出撃となりました。

(追記)
 井上艦長は、萩風退艦後、駆逐艦隊司令として
着任し、駆逐艦檜(ひのき)に乗艦しています。

 檜は、1945年1月5日に、仏印のサンジャックに
向けて、回航していましたが、その後消息不明と
なっています。岩上司令は、この事から1月8日付で
戦死と認定されました。


紹介書籍:激闘駆逐艦隊 萩風・涼月の奮闘記
著者:倉橋 友二郎(くらはし ともじろう)

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