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駆逐艦萩風 奮闘する駆逐艦 [駆逐艦萩風]

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 萩風が、内地で修理を受けている間、
ガダルカナル島とその周辺では、数次に
わたる海上の激戦が続きました。

 この海戦の中には、戦術的には勝利と
言えるものが数回ありましたが、あくまで、
制海権が一時的に入ったというレベル
でした。

 制空権は、これらの海戦で奪還することは
できておらず、輸送任務は、航空機が
飛ばない夜にやらざるおえない状態
でした。

 そして、制空権が敵の手にあるうちは、
制海権も、夜が明ければ無条件で、敵の
手に行く事になりました。

 さらに海戦の様相も、変わってきました。
1942年10月10日のサボ島沖海戦では、
初めてレーダー射撃を受け、駆逐艦吹雪、
巡洋艦古鷹が撃沈しています。

 敵の制空権が奪還できないことから、
補給増援は、駆逐艦や潜水艦が担い、
多数の犠牲が出ています。

 このような状況から、1932年2月には、
ガダルカナル島からの撤収作戦が実施され、
見事に成功させています。

(追記)
 ガダルカナル島の攻略は、どのような戦略が
あって実施されたのか、不明確な作戦だと
いえます。

 オーストラリアを封鎖するということであれば、
中途半端な位置であり、制海権と制空権を
とれるように進軍しなければ意味はない
といえます。

 ガダルカナル島攻略だけでなく、日本海軍は、
太平洋でどのような戦略を実現しようとして
いたのか、全くつかめず、勝利できなかったのは
当然といえます。

 現在の、ロシアの北海道方面への南下や、中国の
海洋進出などの危機が考えられますが、どのような
戦略で臨むのかを考える上で、太平洋で戦った
これらの海戦は、「どのような作戦は無意味な
ものになるか」を示す、教訓になっていると
いえます。


紹介書籍:激闘駆逐艦隊 萩風・涼月の奮闘記
著者:倉橋 友二郎(くらはし ともじろう)

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