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駆逐艦萩風 ベラ湾夜戦 [駆逐艦萩風]

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 修理が終わり、ラバウルに来ていた萩風にも、
コロンバンガラ島への輸送任務の命令が
下りました。

 1943年8月5日、ムンダが陥落し、対岸にある
コロンバンガラ島に兵力と糧食を至急送り込まな
ければなりませんでした。アメリカ軍は、この
日本軍の行動は予期していました。

 萩風と嵐、江風の3隻は、人員と糧食を搭載し、
時雨が警戒に当たる事になりました。この4隻は、
レーダーを装備していませんでした。しかも、
敵状についても、ほとんど情報がありませんでした。

 実は、7月12日夜、コロンバンガラの海戦
以後、アメリカ軍は、レーダーを装備した新鋭の
駆逐艦を戦場に配備していました。

 そして、6隻の駆逐艦と、魚雷艇をコロン
バンガラ島の南側にある海峡に配備し、
レーダー射撃による夜間魚雷攻撃の
チャンスを狙っていました。

 日米には、準備段階でこれだけの差が
ありました。


 8月5日、アメリカ軍は、南から海峡に入り、
日本軍は、北から目的地を目指しました。
午後11時33分、アメリカ軍は、レーダーで、
10海里先にいる、日本の駆逐艦4隻を
発見しました。

 魚雷攻撃には最適の距離と判断した
アメリカ軍は、8本の魚雷を放ちました。
海面の視界は4kmであり、互いの姿を
肉眼で確認することはできませんでした。

 そのため、この魚雷攻撃は、日本軍に
とっては、不意打ちを食らった格好に
なりました。

 最初に魚雷を食らったのは、萩風でした。
静寂の海面に、大音響が起こり、強烈な
閃光が、闇夜を貫きました。


紹介書籍:激闘駆逐艦隊 萩風・涼月の奮闘記
著者:倉橋 友二郎(くらはし ともじろう)

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