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駆逐艦涼月 乗員との再会 [駆逐艦涼月]

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 大分の航空隊に赴任した倉橋氏が、最初に
行ったのは、トンネル壕内での生活見習い
でした。

 防空壕内は、空気が悪く、空襲の合間に
トンネルの入り口にある暴風よけの土塁の前で、
いい空気を吸う事に努めました。

 このトンネルは、大分の街と、佐賀関との
中間の小山に位置しており、土塁の前に
立つと、初夏の太陽を浴びた静かな内海が、
別府湾から伊予灘へ広がっていました。

 倉橋氏は、ここにいても大和と一緒に
出撃した時のことを、昨日のように感じて
いました。一方で、地面の上に立っていると、
小さな艦に揺られながら、気負って出撃した
ことが、夢のようだともしています。

 このような日々を送っていると、涼月はどうなった
のだろうかと思いださない日はありませんでした。
5月中旬に、高角砲の引き取りで、佐世保に行く事に
なった時は、足が浮くような思いでした。

 真っ先に涼月を訪れると、すでに外観は防空
駆逐艦の面影を一変していましたが、懐かしい
乗員が元気で残っていました。

 前部の乗員は、居住場所がないので、後部の
射撃盤室にまで畳を敷いて、居場所を作り、
寝起きしていました。

 別れる時、「また訪ねてくれ」と皆に言われた時は、
艦を去るのが一層心苦しいことになりました。倉橋氏は、
「ごきげんよう」と帽子を振って、別れるしかありません
でした。

 生死を共にした者同士の再会は嬉しかったので、
別れるかなしさは格別だったとしています。

(追記)
 涼月は、任務らしい任務はないので、ここにいる
乗員が、どのような方面に分散して、配属されるかは
心配だったとしています。

 倉橋氏は、乗員の希望を聞いて、人事部に受け入れ
られるように説明しています。


紹介書籍:激闘駆逐艦隊 萩風・涼月の奮闘記
著者:倉橋 友二郎(くらはし ともじろう)



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