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駆逐艦涼月 相ノ浦での迎撃 [駆逐艦涼月]

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 敵機は、毎月のように九州各地に姿を
現しました。涼月が移動した相ノ浦へも、
空襲がありました。その度に、涼月に
残った乗員は、敵機を迎え撃っていました。

 涼月は、射撃盤がなくても、後部に4門の
最新鋭10cm高角砲がありました。砲塔に
側部に設置されていた測定器で距離を
測り、敵機を狙うという困難なわざを
成し遂げていました。

 7月の中旬に、B24が6機、涼月を襲って
来ました。砲員は、砲塔に駆け込んで、
砲身を敵機に向けました。

 「撃ち方はじめ」の号令により、弾丸が
発射されました。砲声は、周囲の山に
こだまして、とどろき渡りました。

 しかし、新任の乗員が、初めての実戦と
言う事で慌てて、方向を示す指標を反対に
設定してしまったため、砲身が全く見当違いの
方向に向いてしまいました。

 このため、敵機を逃すことになりました。

(追記)
 倉橋氏は、この戦闘直後に、佐世保に来る
用事があり、ついでに涼月を訪問すべく、
旧式の汽車に乗り換えて、相ノ浦へ移動
しました。

 入江に近づくと、佐世保で会った時とは、
全く違う形に変わり果てていた涼月と、
対面する事になりました。それでも、
懐かしさを感じ、乗員に会いに行きました。

 その時、上記の射撃の失敗談を、聞かされたと
しています。倉橋氏は、失敗よりも、涼月乗員が、
最後まで奮闘して任務を果たしたいと願う気持ちに
接して、頭が下がる思いだったとしています。

 死んだ戦友たちの思いに応えたいという気持ち
だとしています。


紹介書籍:激闘駆逐艦隊 萩風・涼月の奮闘記
著者:倉橋 友二郎(くらはし ともじろう)



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