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駆逐艦涼月 冬月の関門海峡に移動 [駆逐艦涼月]

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 涼月の僚艦だった冬月は、防空駆逐艦としての
能力を保持したまま、佐世保に待機していました。

 6月になり、冬月は、関門海峡に移動することを
命じられました。毎日のように飛来してくるB29を、
関門海峡灯台近くに停泊して、迎え撃つためでした。

 この頃は、B29は、機雷の敷設も行っていて、
船舶の航行も少なからず打撃を受けており、
冬月も機雷の敷設をしようとしてくるB29を
迎え撃とうとしていました。

 敵機は、関門海峡の北から進入し、高度
1000m以下に下げて、要所要所に落下傘を
付けた機雷を投下し、東に旋回して、下関
上空を通過し、帰還するというルートを
通っていました。

 冬月の乗員も涼月乗員同様、亡くなった
戦友のために、防空の任務を尽くし、報いたい
という気持ちになっていました。冬月乗員
一同は、敵意を撃墜したいという念願を
持っていました。

 7月下旬ごろ、真夜中に、待望のB29が予想
通りの針路を通って、来襲してきました。全員
配置につき、一触即発の気構えで臨みました。

 B29が1機、陸上の探照灯の光芒に捕捉されて、
銀翼が照らし出されました。

(追記)
 敵の機雷は、磁気感知式と音響感知式の
2種類を使用していました。そのため、近くを
船が通って、磁気感知式の機雷が爆発すると、
その音で、音響感知式の爆雷も誘爆しました。

 関門海峡は、鯛の漁場であり、爆雷が爆発する
たびに、何十匹も浮き上がってきました。冬月乗員は、
大和の乗員救助で得た経験をもとに、救助艇で
出向いて、浮かんだ鯛を拾い上げると言う事を
していました。

 これも、かなりの戦果になったとしています。


紹介書籍:激闘駆逐艦隊 萩風・涼月の奮闘記
著者:倉橋 友二郎(くらはし ともじろう)



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