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二式大艇 陸軍との差 [二式大艇]

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 鹿屋にいた時、佐々木氏は、ここにいた
従者から、ある話を聞きました。

 それは、ここには、陸軍の雷撃隊が講習に
受けに来ているということでした。ただ、陸軍の
受講生は皆少佐が来ており、教える海軍の
教官は、佐々木と同期の大尉だったという
ことでした。そのため具合が悪いということ
でした。

 佐々木氏は、この言葉を聞き、言われて
みると、士官室には、陸軍の将校がたくさん
いたし、訓練しているのは、陸軍が飛龍と
呼んでいる機体で、軽快な運動で、雷撃
訓練をしていました。

 この冬に、陸軍に勤務していた佐々木氏の
叔父が、戦病死したので、葬儀に参列して
きました。佐々木氏の叔父は、陸士43期で、
少佐。参列していた叔父の教え子も、51期
(佐々木氏の一つ上)で、陸軍少佐でした。

 陸軍は、教え子の昇進がかなりはやくなって
いるようでした。一方で、特攻で死んでいる海軍
仕官は、佐々木氏の一つ上でも、大尉でした。
人事部は、戦況が逼迫して、処理が間に合わな
かったとでも言うつもりだろうかとしています。

 佐々木氏は、海軍の人事だけはいただけない
としています。

(追記)
 戦後、自衛隊に入隊した佐々木氏は、上記と
同様の事例で、驚いたことがあります。

 佐々木氏の一つ下に入隊した陸軍の仕官が、
全員少佐だったことです。陸軍は、この期の
士官候補生は、3000人いたということで、
海軍の10倍も採用していました。

 それでも、一人の漏れもなく少佐になって
いたことを考えると、陸軍の方が人事は
しっかりしていたといえます。


紹介書籍:翔べ!空の巡洋艦「二式大艇」 巨人飛行艇隊員たちの知られざる戦い
著者:佐々木 孝輔 他

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