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二式大艇 終戦後の基地保管業務 [二式大艇]

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 終戦後、基地保管要員として、佐々木氏は、
他の水上班要員に、帰郷するように命じました。
すると、本当に佐々木氏一人だけになって
しまいました。

 基地保管の指揮は、副長だった小林大佐が
当たっていました。この方は、海軍戦闘機の
大先輩でした。

 そして、上級幹部も、一人去り、二人去りして、
とうとう佐々木氏が、次席となってしまいました。
基地の全要員も50人ほどになりました。

 ある日、アメリカ海兵隊が上陸して来ました。
次いで、海軍の技術情報部のメンバーが
プロペラを外した在隊機を1機づつ入念に
リストアップしていきました。

 彼らは、よく「マル」といっていたのが聞こえて
きました。後で、これは、OKではなく、「モデル」と
言っていたのが、なまったものであることがわかり、
飛行機の型式を問うているようでした。

 この後、アメリカ海軍のマーチン製飛行艇の
PBMが盛んに木更津の方向に向かって着水
しているのが見えました。

 みな、夜間着水の要領で、着水ていました。
アメリカ軍は、木更津の海は、荒れていると
感じたのだろうとしています。

 ある日、PBMの着水に見とれていた佐々木の
ところに、要員の一人が呼びにきました。

(追記)
 小林大佐は、飛行学生時代、イギリスに
留学していました。その時、搭乗機が火災を
起こし、民家を避けて火をかぶりながら、必死に
郊外まで誘導して、落下傘降下しました。

 この行為は、イギリスでも紹介され、イギリス人に
大和魂があることを示した方でした。


紹介書籍:翔べ!空の巡洋艦「二式大艇」 巨人飛行艇隊員たちの知られざる戦い
著者:佐々木 孝輔 他


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