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軽巡洋艦名取短艇隊 列国海軍の海難史 [軽巡洋艦名取短艇隊]

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 松永氏は、列国海軍の海難史をひもといて
います。

 1816年7月、フランス海軍のメデューズ号は、
アフリカ西海軍のブランコ岬の西方60マイルの
岩礁に座礁しました。退艦する十分な時間があり、
食糧を持ち出すことは可能でした。

 しかし、艦長も便乗していた提督も、避難を
優先し、適切な指揮統率を実施しませんでした。
このため、筏に乗った士官と、下士官の間で、
刀を振りかざして相手を殺しあう乱闘になりました。

 この乱闘に加え、時化が起きたため、婦女子を
含めた死傷者が多数出て、「メデューズ号の悲劇」の
汚名を、後世に残しました。

 一方で、同じ座礁事故でもイギリス海軍の
バークンヘッド号は、デンジャー岬の岩礁に
乗り上げ、乗員と陸軍兵に多数の犠牲者が
出ましたが、婦女と子供からは、一人も
犠牲者が出ず、適切な指揮統率が
行われました。

 アングロサクソンの海の伝統を守ったと
いうことで、ヴィクトリア女王は、ロンドンの
チェルシー病院の柱廊に遭難者の霊を
慰めるための記念碑を建てています。

 バークンヘッド号遭難の物語は、大英帝国
時代を偲ぶ語り草の一つになっています。

(追記)
 海難事故は、タイタニック号や、セウォル号など、
あちこちで起こっていますが、悲劇になっているのは、
大体が、船長が自分の役割を放棄し、乗客を見捨てた
ということが挙げられます。

 船長は、緊急事態になった時に、小林大尉のように
決断を下して、行動できるかことがお止められていると
いえます。


紹介書籍:先任将校 軍艦名取短艇隊帰投せり
著者:松永 市郎


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