SSブログ

軽巡洋艦名取短艇隊 解説 [軽巡洋艦名取短艇隊]

スポンサーリンク
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});



 最後に、この著書の解説を紹介します。
解説をしているのは、松永氏と兵学校
同期で、同じ文筆家の豊田穣氏です。

 松永氏と豊田氏が卒業した兵学校68期生で、
異色のなのは、二階級特進した軍神が、4人も
いることだとしています。

 1人目が、松永氏の同郷で、真珠湾に特殊
潜航艇で突入した広尾彰氏です。一年生の時、
豊田氏と同じ第二分隊に所属し、豊田氏の隣に
立っていました。

 豊田氏より背が低く丸顔で頬が赤かったので、
「赤猿」という仇名をつけたら、豊田氏に「白豚」と
言うあだ名をつけ返されました。豊田氏は、この後、
パンダのことが放映された時、パンダという仇名を
もらったとしています。

 広尾氏は、負けん気が強い佐賀っぽで、就寝
動作の時などは、ベッドの間隔が狭いため、尻が
ぶつかりよくけんかしたとしています。

 2人目が、1942年に5月31日に、シドニーに
突入した特殊潜航艇の伴勝久氏でした。豊田氏と
一緒に、名古屋の明倫中学で一緒に、海兵入試を
受けた中で、ヒゲが濃く、豪快な男だったとしています。

 3人目と4人目が、が、山下博氏と長嶺公元氏です。
どちらも、1945年4月6日に、100機に余る特攻隊の
特攻攻撃隊の先任者として沖縄に突入し、クラスで
唯二の中佐に昇進を果たしました。

 山下氏は、兵学校で、松永氏と同じ分隊に所属して
おり、豊田氏の柔道の好敵手です(以前紹介しました
通り、ドイツヘ向かう潜水艦で戦死した須永氏も、
柔道の双璧をなしています)。


紹介書籍:先任将校 軍艦名取短艇隊帰投せり
著者:松永 市郎


スポンサーリンク



nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。