SSブログ

軽巡洋艦名取短艇隊 松永貞市海軍中将 [軽巡洋艦名取短艇隊]

スポンサーリンク
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});



 豊田氏は、松永氏の父親のことも紹介
しています。

 松永氏の父親は、松永貞市海軍中将で、
マレー沖海戦において、中攻隊がプリンス・
オブ・ブウエルズとレパルスを沈めたときの
基地司令官でした。

 同じ頃に、真珠湾を攻撃した南雲中将と
並ぶ偉功ですが、南雲中将は金鵄勲章を
授与されていますが、松永中将には
授与されませんでした。

 南雲中将は、戦死しており、戦死者以外には、
金鵄勲章は授与されないと、されていたよう
でした。

 豊田氏は、このことを戦後になってはじめて
知り、驚いたとしています。松永中将は、第27
航戦司令官や、練習連合航空総隊司令官を
経て、第二技術廠長で、終戦を迎えています。


 豊田氏は、自らの著書「蒼空の器」に、松山
航空隊を登場させています。この中で、松山
航空隊がアメリカの戦闘機を邀撃して、
大打撃を与えるシーンがありますが、
この時、通信長をしていたのが松永氏
だとしています。

 松永氏の書いた先任将校については、乗組員の
漂流記を扱ったもので、戦着物としては異色だと
しています。一方で、豊田氏自身、名取の乗組員
とは縁がありました。

 その一つが、松永氏から、名取の内火艇に乗って
いて捕虜になった少尉候補生のA君を、励まして
欲しいと、お願いされたことでした。

 実際、捕虜となった名取乗組員の少尉候補生は
A君以外にも多数おり、ガンルームが若返ったと
冗談を言っていましたが、少尉候補生らの胸中は、
複雑だっただろうとしています。


紹介書籍:先任将校 軍艦名取短艇隊帰投せり
著者:松永 市郎


スポンサーリンク



nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。