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山口多聞 五十鈴艦長就任 [山口多聞]

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 山口少将は、2年間のアメリカ滞在中、
青春時代を過ごしたクラスメイトと一緒に
カナダや東海岸北部の港湾都市を
巡りました。

 さらに、メキシコやパナマなどの中南米にも
足を延ばしました。1936年8月18日、帰朝
命令を受けました。

 帰国後に命じられた配属先は、軽巡洋艦
五十鈴の艦長で、12月1日付でした。同じ日、
山本五十六中将は、海軍次官に抜擢されました。

 山口少将は、山本長官に挨拶するために、
海軍省を訪れ中庭に面した次官室に入り
ました。山口少将は、帰朝報告と「次官就任
おめでとうございます。」と挨拶しました。

 しかし、山本長官からは、「めでたいもんか。
米内さん(この時の連合艦隊司令長官)の
元で働きたかった。」と返答してきました。
その上で、山口少将に椅子を勧めました。

 そして、「もう53歳なので、いつ予備役に
入ってもおかしくない。せめて残された海軍
軍人としての生活を艦上で送りたい。」として
います。山口少将が、「戦艦ですか。」と
尋ねると、空母だとしています。

 山本長官は、「飛行機の進歩には目を
見張るものがある。自分が、赤城の艦長を
していた時は、木製の複葉機だったのが、
今は金属製の単葉機だ。」としています。

 そして、山本長官は、「君は水雷が専門
だが、いずれは空母に乗ってもらう。」として
います。

 それに対し、山口少将は、「山本長官は、
五十鈴の後赤城でした。私もそのつもりで
います。」と返答し、山本長官をうなずかせて
います。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)


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