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山口多聞 作戦順序 [山口多聞]

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 山口少将の戦略構想は、作戦順序にも
及んでいました。

 第一作戦(ハワイ、南方作戦)は、後回しに
して、1942年5月中旬までに、インド要塞
(セイロン、カルカッタ、ボンベイ)の攻略を
完了させる。

 7月末までに、フィジー、サモア、ニュー
カレドニア、ニュージーランド、豪州を攻略
する。豪州攻略後は、豪州を大東亜共栄圏に
参加するように指導する。」というものです。

 次の段階では、「一期と二期に分け、一期で、
8~9月にアリューシャンを攻略し、11~12月、
ミッドウェー、ジョンストン(太平洋中部の島)、
パルミラ(コロンビア)を攻略し、12月~
1943年1月に、ハワイを攻略する。

 第二期では、ドイツと呼応し、南北アメリカを
遮断すべく、潜水艦隊をアメリカ西岸に機動させ、
状況によりパナマ運河を破壊する。

 南米の要地に、ドイツ軍と協力して派兵し、
枢軸陣営に入れ、アメリカの必要資源輸出を
遮断する。

 状況により、カリフォルニアの油田地帯を
占領する。基地航空隊をカリフォルニアに
進出させ、北米全域に渡り、都市と軍事
施設を攻撃する。」というものでした。

 この意見書は、軍令部第一課資料として、
「軍機」の赤印が押され、「戦時編成立案
意見等綴」のなかに綴られました。

 パナマ運河の破壊、南米への進出、カリフォル
ニア油田地帯の占領、カリフォルニアからの全米
空爆と奇想天外な戦略構想だといえます。

 山口少将は、これは絵に書いた餅ではなく、
現実に即した内容だと考えていました。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)


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