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山口多聞 駐在時の経験 [山口多聞]

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 山口少将が、このような戦略構想を立てた
のは、二度のアメリカ駐在を体験し、滞在中は
パナマ運河などの南米も視察していたから
でした。

 これらの体験を元に、アメリカを屈服
させるには、これくらいの戦略構想が
なければできないと考えていました。

 日本は、この当時、アメリカの石油に
頼っていました。本気でアメリカに
勝つには、カリフォルニアの油田は
確保しなければなりませんでした。

(追記)
 山口少将の戦略をみると、太平洋全体を
見回した壮大な戦略といえます。オースト
ラリアや南米を切り離すというのは、
アメリカを相手にするのであれば、
必要な戦略と感じられます。

 一方で、このような戦略を立てるのであれば、
「なぜ、真珠湾攻撃を行ったのか?」という、
当初からの疑問がでてきます。

 工業力に大きな差がある上、石油を頼っている
アメリカを相手に戦争を始めた理由が
分からないといえます。

 山口少将の戦略でも、ハワイ攻略は後回しすると
なっています。ならば、南雲長官の案の通り、南方に
集中して、アメリカに頼らない石油のルートを確保
すること。

 さらに、太平洋に出て行くときに、後方から
イギリス軍に攻撃されないように、ドイツと
協力してインド洋を押さえるのは必須と
いえます。

 ここまで済んでから、アメリカの出方を見ながら、
オーストラリアを攻略すべきといえます。個人的には、
山口少将は、最も手を組んではいけない山本長官に
ついていくと決めたことが、戦略がチグハグになった
原因と考えます。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)


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