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山口多聞 翔鶴中破 [山口多聞]

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 祥鳳を失った翌日の5月8日、機動部隊は、
弔い合戦とばかりに、ヨークタウンとレキシントンに
攻撃を加えました。

 レキシントンは大爆発を起こして沈没し、
ヨークタウンも大きな損害を受けました。
日本軍は、空母を2隻とも撃沈したと
判断しました。

 連合艦隊は、当初レキシントンをサラトガと
勘違いしていました。ヨークタウンについては、
沈没を免れたにしても、航行不能か戦列復帰には
相当の時間がかかると思い込んでいました。

 一方、日本軍の方は、翔鶴のみ攻撃を受け、
全ての魚雷攻撃をかわしたものの、爆弾を
3発くらい、満身創痍となっていました。
5月17日に、呉に帰還した翔鶴を見た
関係者は色を失いました。

 この時、呉に入港していた蒼龍の乗員は、
海戦の凄まじさを見せつけられました。
珊瑚海海戦は、日本軍の勝利とされており、
翔鶴は中破と伝えられました。

 しかし、翔鶴の被害を見た海軍関係者、
とりわけ空母の乗員は、衝撃を受けて
いました。

 翔鶴に命中した1発目の爆弾が、艦首付近の
飛行甲板と舷側上部を粉々にしていました。
2発目は、後部飛行甲板の被害が大きく、
内火艇が焼けただれた上、機銃座の
射手は全員戦死していました。

 3発目は、艦橋後部の信号檣付近に直撃し、
近くの機銃座射手全員戦死していました。
機銃の引き金に手をかけたまま、ちぎれている
手もありました。戦死者は、100余人にも
のぼりました。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)


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