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山口多聞 第二次攻撃隊、飛龍を発艦 [山口多聞]

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 山口少将は、友永大尉が第二次攻撃を
要請したことを悔いていることを、気にして
いました。

 仮に、今回のミッドウェーの攻撃が、
予定通り、真珠湾攻撃の指揮官淵田
中佐がとっていたとしても、結果は
変わらなかったはずでした。

 想定以上の防御を固めていたミッドウェーの
攻撃は、第一次攻撃だけでは不十分になる
ことは確実でした。

 しかも、第二次攻撃の要請は、淵田中佐も
したはずでした。これは、淵田中佐が
指揮したセイロン攻撃の時も、実際に
行っており、司令部は兵装転換で
あたふたしたという経験があります。

 今回の機動部隊壊滅の責任は、この時の
経験を全くいかすことなく作戦を進めた
赤城にいた機動部隊司令部にあり、
友永大尉の責任ではないといえます。
山口少将は、立場上司令部の責任とは
いえませんでした。

 山口少将は、温顔を作って、「存分に
働いてこい。」と激励しています。友永大尉は、
この日、始めて小さな笑みを浮かべ、直ぐに
思いだしたように、唇を強く吻合しました。
そして、愛機に向かっていきました。

 その時、蒼龍を飛び立った、二式艦上
偵察機が甲板スレスレに飛んできて、
報告球を投げ落としました。紅白の布が
ついた球が、甲板の上を転がりました。
整備員が慌ててつかみ、艦橋に
届けました。

 山口少将は、加来艦長と一緒にすばやく
内容を読み、「友永隊長に渡してくれ。」と
命じました。報告を渡された川口飛行長は、
まだ飛び立っていなかった橋本大尉に、
渡しました。

 第二次攻撃隊は、午前10時31分、
飛龍から発艦していきました。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)


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