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源田実参謀 台湾沖航空戦の真実 [源田実航空作戦参謀]

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 台湾沖航空戦では、空母を9隻以上撃沈
という報告がなされていました。このことに
ついて、連合艦隊情報参謀だった中島中佐は、
この頃のことを以下のように語っています。

 「日本の母艦でもなかなか沈まない。
もっと頑丈にできているアメリカ空母が
そんなにたやすく沈むわけがない。

 T部隊は、何機攻撃、何隻轟沈と言うが、
もっと理詰めに考えなければいかんと思った。
連合艦隊司令部では、淵田美津雄航空
参謀が、私の意見を受けいれてくれた。

 ところが、そう言いながら報告は大戦果に
してしまう。“連合艦隊でそれを絞らなければ
いかんじゃないですか。”と私は言った。

 これに対し、“そんな下から報告してくる
ものを、現場を見ないで値切れるか”と
返答された。

 草鹿参謀長は、“下からの報告は、いちおう
そのまま通したけれど、自分としては作戦
計画上は、戦果を半減して計画していた。”
としている。

 私は、半減でも大きすぎる。“ゼロに近い”と
私は何べんも言ったが、関係者は、どうしても
都合の良い方に引っ張られるようだった。」

 真実は、中島中佐の言の通りです。台湾沖
海戦の航空隊の戦果に疑問を持っていたのは
中島中佐だけではありませんでした。

 海上護衛総司令部参謀の大井篤大佐も
同様に考えていました。1944年8月頃で、
電探を使える偵察部隊を持っていたのは、
海上護衛部隊だけでした。

 敵の潜望鏡を発見できる程度の能力を
持っていた901空です。台湾沖航空戦の前、
901空の電探部隊は、連合艦隊の指揮を
受けることになりました。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿


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