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巡洋艦那智 残り2隻の行方 [巡洋艦那智]

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 2隻轟沈させた那智と羽黒は、他の
2隻はどこに行ったのかと、思いを
巡らせました。

 しかし、数十分直進しており、敵との
距離が離れていました。慌てて敵側へ
舵を切りましたが、残る2隻の行方は
つかめませんでした。

 最も砲弾も魚雷もない状態なので、
見つからなくて幸いだったとも言えます。
爆発している敵艦を目印に、あちこちと
駆け回りましたが、漂流して救いを求める
敵兵の群れを見つけただけでした。

 実際、アメリカ軍の記録によると、
旗艦が撃沈されたことで、緊急回避し、
反転していました。東方を探していた
那智らは、方向違いのところを
探していたことになります。

 モリソン戦史によると、「勇敢なる
ドールマン少将は、救助活動をやらないで、
バタビアへ避退するように命じた。」と
あります。

 しかし、予期しない一撃を食らって、
一瞬で撃沈した艦が、海底から電報を打つ
余裕があるとは思えず、英雄作りの神話の
たぐいだろうとしています。

 負け戦になると、アメリカ軍も報告は
あてにならないということを、示して
います。末期の大本営発表のみを、
責めることはできないだろうと
しています。

 敵の不意打ちに始まった第二戦は、
酸素魚雷の威力と夜戦の修練がものを
いい、敵巡洋艦2隻を撃沈して、
凱歌が上がりました。

 この夜戦で、味方の駆逐艦が一隻も
間に合わず、巡洋艦2隻を取り
逃がしたのは、無念の極みと
しています。

 そして、この日の夜半、無事にクラガン沖に
入泊した東方攻略部隊は、その夜のうちに、
陸兵を揚陸することができました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平


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