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巡洋艦熊野 土に埋められる幸せ [巡洋艦熊野]

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 たまたま長運丸爆沈後、負傷者の手当に
派遣されていた西大尉は、熊野の最期を
陸上から見ていました。

 熊野に残っていたら、配置のことを考えると、
助からなかったと思えるとしています。西大尉は、
「ものすごい光景だった。沈む時は、声を上げて
泣いたよ。全員死んだと思った。助かった人が
いてよかった。」と言ってきました。


 この日、航海科の乗員二人の埋葬をすることに
なりました。左近允氏は、警備隊に行き、白木の
墓標を2本作ってもらい、碑名を書きました。
遺体の場所に戻り、遺品になりそうなものを、
探しました。

 遺体は、最近散髪したようで、頭髪は短く、
重油も固まって切りにくくなっていましたが、
少し切りました。お守りを持っていた遺体も
あったので、これも形見としました。

 棺に入れ、警備隊の前にある芝生の
美しい広々とした牧場が右手にあり、
その一すみに並べて墓が掘って
ありました。

 静かに遺体を入れて、代わる代わる
シャベルで土をかけました。見張長が、
「お前たちは幸せだったよ。こうしてみんな
立派なお墓を立ててもらい、土に埋められ
たんだから。」とつぶやきました。

 左近允氏も、同感でした。いつ死ぬか
分からぬ上に、死んでも土に埋められて
もらう見込みは、なさそうでした。


 この日、航海長が、重傷者として病院に
送られ、砲術長の白石中佐が、指揮を
とることになりました。この後も、
左近允氏らは、サンタクルーズで
過ごしました。

 そして、時々流れてくる遺体を葬りました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平


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