SSブログ

巡洋艦熊野 サンタクルーズの空気 [巡洋艦熊野]

スポンサーリンク
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});



 左近允氏は、乗員の多くが寝泊まりしている
小学校に行ってみました。元気にわらじを
作ったり、ヤシの実で食器を作ったり
していました。

 左近允氏は、乗員の一人から、わらじを
進呈されました。暑さと傷みで閉口していた
左近允氏は、嬉しくなりました。


 戦死した乗員には申しわけないものの、
時がたつと、艦に残したものが、惜しく
なってきました。この感情は、左近允氏
だけでなく、誰しもそうなってきました。

 左近允氏は、ストップウォッチがついた
スイス製の時計と、象が刻んである銀の
シガレットケースが惜しくなりました。

 シガレットケースは、タイの駐在武官だった
父の尚正(なおまさ)氏が、ピブン首相から
贈られ、それを左近允氏がもらったもの
でした。

 泳いで上陸した頃は、もちろん命だけで
満足していたものの、喉元すぎれば
何とやらで、現金なものだとしています。

 それでも、身につけていたワニ皮のベルトや
パイロットの万年筆、ナイフを一本持っており、
内務長に物持ちだと言われていました。

 11月28日、マニラから、翌日の29日に
掃海艇が迎えに来るという電報がきました。
皆、久しぶりの陸上生活を満喫し、サンタ
クルーズの空気にすっかり気に入って
いたので、この電報に、物足りなさを
感じました。

(追記)
 熊野から持ち出せた、ワニ皮のベルトや
パイロットの万年筆、ナイフを一本などは、
次に左近允氏が乗艦した松型駆逐艦「梨」が、
1945年7月28日に撃沈した時、全て
失っており、残ったのは、右足首の火傷の
痕跡のみとなりました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平


スポンサーリンク



nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。