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巡洋艦最上 緒戦期の損害 [巡洋艦最上]

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 このころ、マレー半島の一角コタバル、
シンゴラ方面に上陸した陸軍部隊は、
一路南進を続け、はやくも主力は
シンガポールに迫りました。

 一方、フィリピン方面でもマニラに迫り、
ダバオに上陸するなど、華やかな場面が
展開されました。香港、ウェーキ島、
グアム島など、相次いで我手中に
落ちる状況でした。

 最上が所属する第二艦隊の戦場でも、
ボルネオ平定、ミリ作戦などの一連の作戦が
次々と敢行され、緒戦期の損害として、
痛い代償を払いました。

 12月17日に、駆逐艦東雲(しののめ)が、
被雷沈没し、ボルネオ島クチン泊地にあった
輸送船が襲撃を受け、香取丸が沈没、
その他にも損害が出て、クチン攻略部隊は、
相当混乱したものの、揚陸に成功しました。

 損害はこれにとどまらず、直接支援に
任じていた第20駆逐隊の狭霧が敵潜水艦の
餌食となり、大火災の後沈没のやむなきに
至りました。他に、特設砲艦第二雲洋丸が、
あえなく沈没しました。

 これらの部隊を沖合で支援していた
最上ら重巡洋艦部隊は、この報告を聞く
たびに、切歯扼腕して悔しがりました。

 ここから、最上の出番となった、
マレー沖海戦に至る経緯を紹介します。

 この海域は、開戦前から、敵の水上部隊と
いつ海戦が起こるかわからない情勢にあり
ました。そのため、いつも会敵即応の態勢で
行動していました。

 12月9日に、イギリス戦艦2隻(プリンス・
オブ・ウェールズ、レパルス)が、マレー東岸に
出現という敵情第一信が入りました。最上は、
即時全力待機を下命され、第7戦隊を先頭に、
夜戦で一泡ふかそうと、緊急運動にかかりました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平


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