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巡洋艦最上 内地に帰還 [巡洋艦最上]

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 仮修理が終わった最上に、「明石を
護衛して佐世保に回航せよ。」の命令が
下りました。

 8月5日午前8時、今までやっかいに
なった明石を護衛して、トラック基地を
発進し、帰還の途についたのでした。

 最上は、明石に先立って出発し、環礁
北口付近の対潜哨戒を厳重にし、爆雷を
投下して、威嚇警戒を行いつつ、明石の
安全出港を見守りました。

 外洋に出ると単縦陣をとり、之字運動を
実施しながら北上しました。この時には、
明石の修理のおかげで、波切りができたので、
軽やかに航行することができ、運動も
自由になりました。

 鼻柱を強打して、うちひしがれていた
最上が、外科手術によって整形手術を
行い、どうにか外観上は、昔日の姿を
とりもどした形になっていました。

 幸い会敵することなく、九州に西岸の山々を
指呼の間にながめつつ、北上した時には、
親の懐にでも抱えられるような、なんとも
言えぬ和んだ気持ちでした。

 最上は、8月11日に、佐世保の工廠に
たどり着きました。岸壁に横付けされると、
すぐに工廠側から工廠長、造船、造兵などの
係員が来艦して、最上の状況を見て
回りました。

 その当時の様子は、工廠員が、「これは、
すごかですたい。」という九州弁の言葉が、
よく表現していました。

 最上は、入渠し、本格的な外板修理と、
艦首部の復旧修理を行うことになりました。
後日、水上機母艦を兼ねたような大改造
修理をすることになったと聞かされました。

 この入渠中の11月に、曾禰氏は、
那智の艦長に転任の命を受けました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平


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