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巡洋艦最上 退任 [巡洋艦最上]

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 曾禰氏は、最上入居中、毎日のように
愛児の治療を見るように、アチコチで
修理されてゆく箇所を見てまわりました。

 さぞいたかったであろうと、手でなでる
ような気持ちで、最上の各部を巡り歩き
ました。艦内神社には、内地帰還の
報告とともに、お祭りもぬかりなく
実施して、感謝の祈りは怠りません
でした。

 入渠中は、艦内の施設を使うことはできず、
船渠わきの特設のものを使用することに
なります。なので、何かと不便が多く、
船渠に墜落するという事故もよくあるので、
うかうかできなかったという状況でした。


 しかし、曾禰氏は、転任の命を受けて
いたので、最上に長く留まることは許され
ませんでした。那智は、北方海面の任務に
あたっており、早く赴任して任務に当たる
必要がありました。

 曾禰氏は、後任の最上艦長佐々木静吾
大佐の着任の前に、総員を船渠に集合させ、
長い訣別の言葉をつぎました(最上でできな
かったのは、入渠中は、一箇所に重いものを
置くことを、禁じられていたからでした)。

 愛児と別れる辛さと、文字通り生死を
ともにした乗員の顔が、曾禰氏を覗き
込んでおり(むしろ凝視しているように
感じたとしています)、一言も聞き逃す
まいと聞き入ってくれていました。

 その真剣な顔や、目つきは、戦後に
なっても忘れることができなかったと
しています。

 やがて、新艦長の着任を一同で迎え、
艦長公室で申しつぎを済ませました。

 佐々木新艦長のことは、曾禰氏は
よく知っており、手負いの愛児の
後事を託すには、持ってこいの
人でした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平


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