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巡洋艦摩耶 夜間戦闘機紫電 [巡洋艦五十鈴、摩耶]

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 1945年5月のある夜、井上氏が、
勤務している第22戦隊の司令部が
置かれている横浜中央突堤近くで、
日本軍が、アメリカの空襲部隊に
対して攻撃している場面を目撃
しました。

 その日の夜は、静かで寒く晴天でした。
午後8時頃、いつものように哨戒隊から
B29の大編隊が、北方に向かって進行中
であるという緊急信が届きました。その数は
300機でした。

 夜間は空中戦闘ができないので、護衛の
P51戦闘機はついていませんでした。間もなく
ラジオやサイレンで、京浜工業地帯に空襲
警報が発令され、第22戦隊司令部にも、
戦闘配置につけの発令がなされました。

 満を持して敵機の来襲に備え、町のランプは、
ことごとく消され、漆黒の暗夜と化していました。
井上氏は、今夜こそ空襲の状況を見届けてやろうと、
屋上の望楼で、12cm大型双眼鏡にしがみついて、
見張っていました。

 麾下の哨戒部隊の配置地点が分かるので、
爆撃機隊が東京方面に到達する時刻は、
推定できました。

 その時刻になると、伊豆七島や、三浦半島、
さては伊豆半島から東京にかけて配備
されている各見張所が、敵機の通過状況を
報告してきました。

 東京方面への空襲で、敵機の通過する
経路は、相模湾から、平塚付近に侵入し、
北東に針路をとって、東京に向かうのが
定石でした。

 上空には、海軍夜間戦闘機紫電が厚木、
横須賀の基地を中心に、待機していました。
この戦闘機は、B29よりも口径の大きい
機銃を装備しており、夜間の迎撃戦闘用に
制作されていたので、威力は、B29を
ゆうに撃墜できるほどの新鋭機でした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平


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