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巡洋艦大淀 無口の父 [巡洋艦大淀]

 小淵氏は、父の家で、あまり口にしていない 勝栗や乾燥芋を、むさぼるように食べました。  シンガポールで買った土産物の内、生ゴムの 靴とワニの皮の財布などは、兄のところに置いて きたので、生ゴムの前掛けと手袋、石鹸6個、 タバコを義母に渡しました。義母は、世辞 ではなく大歓びでした。  小淵氏は、父と小さな炬燵に向かい合いました。 父は無口なので話しかけてくることはなく、あまり 話しませんでした。しかし、小淵氏がつけている 階級章を見た時、「兵長になれば安心だな。」と ぽつりと言いました。  小淵氏の父は、明治末期から大正にかけて 近衛兵として入隊しており、軍隊のことは察しが つきました。小淵氏が、5月に下士官になれることを 話すと、今はそんなに早く進級するのかと驚いた ふうでした。  あまり話もしないことに見かねた義母は、 一冊の小説を持ってきてくれました。内容は、 口は利けないが素晴らしく腕の立つ武士が 主人公で、読み始めると止められなくなる ほどのものでした。  小淵氏が、夢中で小説を読んでるので、 「持って行って汽車の中ででも呼んだらどう。 も少し話したら。」と、義母は気をもんでいました。 小淵氏は、予定の時刻までに小説を読み終え、 父に別れの挨拶をしました。  すると、「その靴では、雪の中にもぐって しまうぞ。」と言って、父はワラ靴を履かせ、 駅まで送ってくれました。  父は雪道に慣れているのか、足どりは しっかりしていました。駅につくと、待合室は、 夜中だというのに人が溢れていました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 父との再開 [巡洋艦大淀]

 叔父たちは、12時過ぎまで話し、 やがて帰っていきました。その後、 兄が「東京が空襲を受けている らしいぞ。東の空が真っ赤になって いる。」と、庭で叫んでいました。  小淵氏は気にもせず床につきましたが、 この3月10日払暁の大空襲で、小淵氏の 姉が亡くなっていました。この事実を 知るのは、3ヶ月もあとになってから でした。  この空襲の前に、隣町の軍需工場が 空爆され、多数の工員に死傷者があり、 その一部が姉のいた病院に入院した ので、その人達を担架で運び、避難 させていたそうでしたが、防空壕などは なかったということでした。  翌朝、父に会おうと思い、朝食を 済ませて水上に出発しました。汽車は 利根川に沿った谷間をあえぐように 登っていきました。  沼田を過ぎると、積雪も多くなり、家々は 雪に埋もれていました。やがて水上駅に 着きました。  外は、風花が舞い、雪が1mも積もって いました。その雪の踏み固められた細い道を、 2kmくらい沼田方面に戻ったところに、 小日向という集落がありました。  兄からもらった地図を頼りに、父がいる 家の入口に立って、雨戸を叩きました。 返事があり、中には入ると、薄暗い炉端で、 父と義母が驚いた顔で見つめていました。  義母は、早速奥の座敷にある炬燵に火を 入れ、干し柿や乾燥芋、勝栗などを出して くれました。  夕食は、ライスカレーを作ると行ってその 用意をはじめました。小淵氏が、今夜の汽車で 帰らなければならないことを伝えると、義母は、 弁当のおにぎりを20個も用意してくれました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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