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巡洋艦大淀 陸軍将校の醜悪な姿 [巡洋艦大淀]

 ホームから降りた地下道の一角に、退避 場所がありました。しかし、土嚢も半分崩れ かけ、中は異様な臭気が立ち込めていました。 それでも、人々は我先にと奥へ入り込みました。  伏せている者、しゃがみ込む者、壁にへばり つく者等など、押し合いへし合いでした。防空壕に 入りきれないで、外に数十人はみ出していました。  このような防空壕では、外も中も大差ありません でしたが、奥へ行きたいというのが心理でした。 小淵氏は、コンクリートに背をもたせ掛けて、 空襲の様子に聞き耳を立てました。  サイレンは鳴り止み、爆弾の炸裂音もしません でした。迎撃の発砲も、爆音も全く聞こえません でした。外は静まり返っているようで、不気味と 言えました。  10数分経過し、一人が防空壕から出ると、 少しずつ外に出始め、半数くらいの人が外に 出ました。その時、小淵氏は、防空後の奥で、 異様な光景を目撃しました。  防空壕の奥の一番良い場所を占領して 防爆姿勢(床に腹這いになり、両手で眼と 耳を抑えた姿勢)になっている陸軍の将校が いました。服装は将校服より緑色がかっており、 肩から胸にかけて参謀章の金の縄を吊るして いました。  参謀将校が、事もあろうに、防空壕内で、 防爆姿勢になっている姿は、みっともない 格好でした。小淵氏は、将校は軍人精神の 権化のように思っており、尊敬すべき人物と 考えていましたが、この世で最も醜悪なものを 見たと感じました。  小淵氏は、思わず顔を背けてしまいました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 予定10時間遅れ [巡洋艦大淀]

 空が明るくなる頃になってやっと復旧し、 汽笛を鳴らして走りはじめました。結局 7時間も雪の中で立往生していました。 その上、準急列車が各駅停車に変更 されました。  やがて、汽車が沼田駅に着いたので、 角田上水を探しましたがおらず、次の 岩田駅にもいませんでした。  汽車は渋川過ぎて、関東平野の一角に 入りました。このあたりまで来ると、空は すっかり晴れ上がっていました。  やがて東京に入り、ようやく上野駅に 着きました。小淵氏は、無我夢中で 山手線に乗り換え、東京駅に向かい、 東海道線の発車ホームに走りました。 この上野と東京間も小一時間かかり ました。  東海道線のホームに上がり、海軍 関係者を探しましたが、見つかりません でした。小淵氏は、一人自分だけが 遅れたと考え、猛烈な焦燥感が 襲ってきました。  目の前を、何本もの貨物列車が通過 していきましたが、東海道線の列車は 入ってきませんでした。東京駅に着く までに、予定より10時間も遅れており、 これ以上遅れると、帰艦時刻を完全に 過ぎてしまうことになります。  貨物列車の上でもいいので、呉に早く 着けないものかと考えましたが、貨車が どこへ行くのか聞くこともできず、東海道線が 来るのをジリジリする気持ちで待っているしか ありませんでした。  そこに突然けたたましい、悪魔の遠吠えの ような不気味なサイレン音が一斉に鳴り 響きました。そして、「総員退避」と 叫びながら駅員が駆け上がって きました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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