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巡洋艦大淀 帰艦時刻に遅れた罪 [巡洋艦大淀]

 大淀に帰艦した者のかなりの人員が 遅刻していました。角田上水は、先に 着いていましたが、上野に着いたとき、 山手線が動かなかったので、東京駅 まで歩いたということでした。  分隊の居住区に入った小淵氏は、 上級者に詫びてまわりました。艦隊 勤務では、帰艦時刻に遅れた罪は、 重大なものとされていました。  小淵氏は、大きな罪をおかして しまったとしきりに悩みました。 夕食後、班長に呼ばれ、主砲発令所に 行きました。  ここで取り調べかと思いましたが、 遅れた理由を聞くだけでした。口下手 だった小淵氏は、水上駅で汽車が遅れ、 雪で脱線し、空襲警報で退避したこと などを要領悪く報告しました。  班長に、改ざんした遅延証明書を 見せると、「380分と言うと、6時間 20分か。そんなことが重なったの では仕方ないな。」と、緊張で 青ざめている小淵氏を慰める ように微笑しながら言いました。  そして、「実を言うと、艦長通達は、 6時となっていたが、交通事情が悪い ので、各分隊申し合わせで、繰り 上げておいた。だからといって、 遅れてよいというのではないぞ。」と 注意しました。  小淵氏は、安堵の胸をなでおろしました。 しかしながら、定められた時刻に遅れている ことは確かなので、後甲板に上がって、罰を 受けました。  帰艦時刻に遅れると、履歴に記載された上、 前科者として扱われました。そして昇級も 停止され、その汚点が海軍にいる限りついて 回りました。  小淵氏が恐れていたのは、この点でした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 良心の呵責 [巡洋艦大淀]

 軍隊では、いかなる理由があろうと、 帰艦時刻を厳守しなければなりません でした(場合によっては、軍法会議で 死刑になることもありえます)。  しかし、これだけ遅れてしまっては、 物理的に間に合うわけがありません でした。小淵氏は、疲労しきった体と、 混濁しがちな思考の中で、必死に 考えました。  そして、水上駅でもらった遅延証明書の 80分遅れを、頭に3をつけ加え、380分 遅延したことを証明するに改ざんしました。 すると、今度は猛烈な良心の呵責にさいなま されました。  証明書に記入した時間の倍も不測の 事態があったと言い聞かせても、良心の 呵責は少しも減少しませんでした。 小淵氏は、良心との格闘に疲れ 果てました。  いつ夜が明け、いつどこで汽車を乗り 換えたのかも、そしていつ呉に着いたの かも全然覚えていませんでした。気が つくと、夢中で呉の市街を、港に 向かって力走していました。  桟橋には、大淀のカッターが待って いました。まだ予定通り帰艦しない者が いるようでした。  小淵氏が乗った汽車の前の便で 来ていた者が、5名ほど先に乗って いました。この人達も、小淵氏より先に 着いてはいましたが、遅刻者でした。  小渕氏の後から、数名の遅刻者が 走ってきました。この後の汽車は、 かなりの時間があるので、カッターは 桟橋を離れていきました。  遅れた奴らが漕げと気合いをかけられ、 小淵氏らは懸命に漕ぎました。小淵氏は、 囚人のような、何とも言えない惨めで、 寂しい、やるせない気持ちとなりました。  舷門をくぐったのは、5時少し前で、 結局2時間の遅刻でした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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