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巡洋艦大淀 夜道で母の声をきく [巡洋艦大淀]

 疲れを感じた小淵氏は、道路端の 田んぼの中についであったワラを 見つけ、そこに腰を降ろしました。  すっかりのどが渇いてしまったので、 溝の中の残雪を掘り出して、口に 含みました。  表面はバリバリ凍ていましたが、中は 柔らかな雪で、口中で解けて胃の中に 流れ込みました。すると胃が冷たくなり、 空腹がこたえはじめました。  小淵氏は、ワラ束に寄りかかり、上野で 出会った少年たちを想い出していました。 少年たちは、父母も兄弟も空襲で死んで しまったので、あんなにうつろな顔を していたと考えていました。  そして、小淵氏は、母に死なれたときの ことを思い出し、どんなに寂しことだろうと 考えていました。  小淵氏は、もう何年も口にしたことのない 言葉である、「お母さん」と小さな声で呼んで みました。すると涙が溢れてきました。再び、 少し大きな声で、「お母さん」と呼んでみました。 すると、月の光の中に、母の顔が浮かびました。  母は、微笑むように小淵氏を見返し、 「もうすぐだよ。元気をお出し。」という声が 聞こえました。小淵氏は、はっとして目を 覚ましました。ウトウトしていたようでした。  汗ばんでいたはずの体がすっかり冷え 切っていました。再び歩き始めた小淵氏は、 母の、「空を見上げて口を開けてみれば、 口の真上に天の川が来れば、新米が 食べられるよ。」と言っていたことを、 思い出しました。天の川は、未だに 空の端で、弱々しい光でした。  やがて、中之条にたどり着きました。 両側に立ち並ぶ家々は見慣れた家 でしたが、寝静まって吠えかけてくる 犬もいませんでした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 生家までは遠く [巡洋艦大淀]

 日が沈み、急に気温が下がりました。 しかし、懸命に歩いているので、体中が 汗ばんでくるほどでした。  この時、前方から一台のトラックが 土煙を上げて走ってきました。 トラックは、小淵氏の所で止まり 運転手が声をかけてきました。  中之条から高崎に行くところということ でした。反対方向では仕方ありません でしたが、故郷の人に声をかけて もらえるのは、本当の嬉しく なりました。  その後は、後ろからも前からも自動車は 一台も来ませんでした。交通事情の逼迫と 思われました。すっかり暗くなった空には、 星が輝きはめ、月も昇っていました。  空気の澄んでいる山間部では、月の光でも かなり明るくなりました。しかし、足が重くなり、 15km位歩いたような気分を味わっいました。  その時、道路脇の農家の板戸が引き開けられ、 その家の主婦らしい人が出てきました。小淵氏は、 中之条までどのくらいあるのか尋ねました。  いきなり声をかけられびっくりしたようでしたが、 小淵氏が水兵服を来ているのに気づき、「2里 くらいある。」と気の毒そうに答えてくれました。  さらに、「もう遅いから泊まっていきなさい。」と 誘われましたが、知らない家に泊まることは、 小淵氏にはできませんでした。小淵氏はお礼を 行って、歩きだしました。  道路は凍てついて、吐く息は見た目にも白く なっていました。中之条まで2里で、そこから 生家まで1里あるので、合計3里の道を歩く 必要がありました。  そう考えると、途端に疲れが出てきました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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