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巡洋艦大淀 飛渡瀬の村人 [巡洋艦大淀]

 大淀が襲撃を受けている時、これを 見ていた飛渡瀬の村人が、手押し ポンプをバケツを漁船に乗せて 漕ぎ寄せ、勇敢な男女青年団の 数人が大淀に上がって消火作業を 懸命に手伝ってくれました。  「江田島を護ってくれる大淀を沈めては ならないぞ。」と、村人達は、敵機が去ると すぐに浜にある漁船を全部押し出して 漕ぎ寄せました。  しかし、艦内の消火作業は、あまりにも 危険なため、重傷者の搬送と看護お願い しました。  堤防沿いの道路にむしろを敷いて、仮の 救護所を作られ、負傷者は、村人の手厚い 看護を受けました。それと、戦死者は、村の 妙覚寺に運ばれて安置されました。  村の人々の救援に奮い立った乗組員は、 誘爆する機銃弾もものかはと、火中におどり 込んで、延焼を食い止め必死の消火に 務めたので、さしもの劫火も次第に弱まり ました。  しかし、各所を破壊されている大淀は、 密閉消火ができず、下甲板以下は 依然として燃え続けていました。  乗組員は、早朝からの激戦に、飲まず 食わずで奮闘を続け、昼の戦闘配食を 用意していた烹炊所員が全員散華 したので、空腹と披露は極限に 達していました。  村の青年団から炊き出しの握り飯や 水が届けられたのは、日没近くでした。 この炊き出しで元気づいた乗組員は、 夜を徹して消火作業と艦内の修復に 励みました。  しかし、艦内火災は容易におさまらず、 ようやく消し止めたのは、翌日の夕刻 でした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 着底 [巡洋艦大淀]

 その後、大淀は、第四波、第五波と来襲する 敵機の大群に、艦中央の右舷に直撃弾を受け、 4番砲塔が破損しました。  大淀は装甲が薄く、軽快な動きで回避する ことが得意な艦ですが、この時は、前後を 繋留され、動くことはできませんでした。  損傷した大淀は、砲撃能力が激減し、その 虚をついて投下された爆弾が、第二砲塔背後の 通信室を貫通し、中甲板で炸裂し、通信室は、 跡形もなく吹っ飛びました。余波で、艦橋や 防空指揮所にいた数10名も死傷しました。  下甲板も火を発し、下甲板以下の配置の者は 脱出不能となり、主砲弾薬庫も誘爆の危機となり、 注水が命じられ、弾薬庫員は、艦を救う人柱と なりました。  かつて小淵氏がいた主砲発令所員も閉じ 込められ、脱出不能となりました。通風口を 切断して救助されたのは、敵機襲撃後 10数時間も経過してからでした。  午後4時に、敵機は姿を消しましたが、 大淀艦内は、火災が猛威をふるい始め、 爆風で飛散した機銃弾が各所で 誘爆し続けていました。  通信室の炎は、防空指揮所まで燃え 上がりましたが、指揮を取っていた 田口艦長は、足下にせまった劫火の 上で、不動明王のように立って 指揮していました。  大淀は、破口からの侵水で右に傾きつつ ありました。この状態で意を決した艦長は、 キングストン弁の開放を命じ注水しましたが、 着底していた大淀は沈下せず、復舷しました。  大淀は、この戦闘で百数十名の戦死者と、 百名前後の負傷者を出しました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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