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巡洋艦大淀 闘魂の昇華 [巡洋艦大淀]

 敵機との距離2万mで、大淀の主砲が 初弾を発射すると、12秒間隔で速射を し続けました。  大淀得意の先制砲撃でした。この斉射で 数機が撃墜され、編隊が解かれ、四方八方 から突入の構えをとり、矛先が大淀に 向けられました。  左右の高角砲も射程内に突入した敵機に 速射を始め、その間隙を縫って肉迫する 敵機には、25mm機銃が猛然と火を 吐きました。彼我の発する轟音は、 天地にこだまし、激騒は江田島を 覆いました。  幾百となく林立する水柱は、滝つ瀬となり、 絶え間なく艦を洗いました。炸裂する至近弾は、 海底の泥砂を吹き上げ、破片は、艦腹を叩き、 爆波は激しく艦をゆさぶり続けました。  大淀の対空砲火は、あらん限りの猛射で 殺到する敵機に咆哮し、突入を阻止し続けて いました。それは、まさに全乗組員の烈火の ごとき闘魂の昇華でした。  やがて第一波の敵機は去りましたが、その 静寂もすぐに破られ、第二波が来襲し、上空を 覆いつくしました。再び、轟音の世界に没した 江田島湾の大淀周辺は、何百条という水柱が 昇立して、敵機の猛襲が開始されました。  第二波が去り、新手の第三波が来襲すると、 猛烈な襲撃が継続されました。この間断なく 来襲する敵機に、大淀は、ついに直撃弾を 受けました。その1弾は、機銃甲板を貫通し、 烹炊所で炸裂すると、20数名を一瞬で 死傷させました。  それまで整然としていた艦内が、直撃弾で 火災が発生し、清美な艦内は、たちまち 凄惨な修羅場と化しました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 日本海軍最期の艦隊作戦 [巡洋艦大淀]

 小淵氏が退艦した後の大淀について 紹介します。大淀は、江田島湾に回航され、 海岸から300mほど離れた浅瀬に前後部を 繋留して防空砲台の役目につきました。  日本海軍最期の艦隊作戦である水上 特攻として、大和など10隻が出撃し、 生き残った4隻の駆逐艦以外撃沈しました。 この艦隊には、小淵氏と同じ特年兵が 多数参加していました。  以前紹介した井上氏も、駆逐艦磯風で 出撃しています。もうひとり、磯風に乗り 込んでいた特年兵の島崎氏は、磯風と 運命をともにしています。  大淀から、矢矧に引き抜かれて参戦した 飛行分隊の多くが、戦死しています。  この頃、大淀ら内地にいる艦隊は、燃料 不足で航行できず、甲板上に松の木や 杉などを乗せて偽装していました。  しかし、B29から、「松が枯れて茶色に なっているので、植え替えてはいかがで しょうか。」というビラが撒かれる始末 でした。  敵の機動部隊が四国の土佐沖に来攻 したのが、7月24日未明でした。この情報を 2日前につかんでいた日本軍は、万全の 準備を整えて敵機の出現を待ちました。  午前7時、大淀は、電探で敵機の来襲を 補足しました。大淀は、艦長の交代や乗員の 移動がありましたが、歴戦のベテランは 残っていました。冷静に対空戦闘の開始を 待ち構えていました。  江田島の陸上では、空襲警報のサイレンが 悲鳴のように鳴り響き、各所の砲台が散発的な 射撃を開始しました。しかし、敵機は、陸上の 散発的な砲火など歯牙にもかけず、向かって きました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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