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山口多聞 新型戦闘機 [山口多聞]

 山口少将が体験した通り、護衛の
戦闘機がない陸上攻撃機は、消耗
していきました。

 戦線が膠着する中、海軍は次期戦闘機の
開発に全力を挙げていました。96式艦上
攻撃機を設計した堀越二郎氏は、航続
距離が長く、戦闘能力にも秀でた新型
戦闘機を設計し、12試艦戦が作られ
ました。

 山口少将が、96式陸上攻撃機に乗って
重慶に向かった頃、横須賀航空隊は実用
試験を繰り返していました。

 1940年7月中旬、試作機段階の戦闘機
15機で編成された2個中隊が、横山大尉と
進藤大尉に指揮されて、横須賀を発進
しました。上海を経由し、漢口にやって
きました。

 これまで見たことがない流麗な機体が
基地上空に現れた時、96式艦上戦闘機が
時代遅れの戦闘機であることをいやおうなしに
自覚しました。

 脚は、引き込み式で、翼と一体化し、
「栄」エンジンの力強い唸りが
轟々と鳴り響いていました。

 12試艦戦は、翼にたたみこんだ脚を出し、
颯爽と着陸しました。エプロンまでタキシング
しながら移動し、停止すると、搭乗員や整備員が
駆け寄ってきました。山口少将は、見事な
戦闘機だと唸りました。

 96式と同じ3枚プロペラで、風防はスライド式の
完全風防でした。流線型の胴体はスマートで、
全体的に洗練された完成度の高さを感じさせる
機体でした。

 さらに圧巻なのは、胴体両脇についた7.7mm
機銃2丁と、両翼に1丁づつついた20mm機銃
でした。これには、度肝を抜かれました。これが
世界最高の戦闘機であることが、ひと目で
分かりました。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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山口多聞 空中戦を体験 [山口多聞]

 「敵、戦闘機、接近」という搭乗員の
声に従い、山口少将は風防越しに
見ると、前方から小さな黒点が
いくつかあり、みるみる上昇して
きました。

 黒点は、飛行機の形になりました。複葉機
ではなく、日本の脚が翼に収納してありました。

 この当時、脚が収納できるのは、ソ連製の
ポリカルポフI16のみでした。I16は大きく
旋回しながら上昇し、陸上攻撃機の大編隊を
遠巻きに見るように上空に挙がりました。

 そして、反転して急降下してきました。
赤い閃光が走りました。曳光弾が、不気味な
蜘蛛の糸となって、陸上攻撃隊に飛んで
きました。

 陸上攻撃機は耐えたまま、機体の背中にある
機銃座が応戦していましたが、なかなか命中
しませんでした。山口少将の乗る機体に、
流れ弾が当たりました。

 山口少将は、胸に手を当てましたが、この後、
敵の攻撃機は、機銃を恐れたのか遠ざかって
いきました。日本軍に被害はありませんでしたが、
数10機来たら全滅していたかもしれないと
感じました。

 爆撃照準器を覗いていた爆撃照準手が、
「ヨーソロ(まっすぐ進め)」という声を上げました。
続いて、「降下」という声で、士官が爆弾投下の
操作をしました。山口少将には、落ちていく
爆弾が見えませんでした。

 担当者は、照準器を覗いたまま、目標物に
命中したかどうか確認しました。この日の攻撃は
無事に終わりました。山口少将は、今日は無事に
帰還できたが、これはたまたま運がよかった
だけだと感じました。

 連日、味方機は撃墜されており、搭乗員は
神経をすり減らしギリギリのところで作戦の
遂行に当たっていることを知り、搭乗員には
頭が上がらないと感じました。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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