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山口多聞 図上演習 [山口多聞]

 翔鶴と瑞鶴は、共に艦上攻撃機84機を
搭載していました。しかし、珊瑚海海戦から
帰還した時は、翔鶴、瑞鶴合わせて39機しか
ありませんでした。

 珊瑚海海戦は、史上始めての機動部隊同士の
海戦(複数の空母同士がぶつかり合った海戦。
歴史上日米の海戦以外ありません)と言われて
います。

 瑞鶴は、翔鶴に遅れること4日後の5月21日に、
呉に帰還しています。山口少将は、ミッドウェー
作戦に瑞鶴だけでも参加してもらいたいと
思っていましたが、あまりにも時間がなく、
間に合いませんでした。

 山口少将は、ミッドウェー海戦に当たり、旗艦を
蒼龍から飛龍に移しました。5月1日~4日に、
桂島泊地中の戦艦大和で図上演習が行われ
ました。しかし、ハワイ作戦の時と違い、司令部や
南雲長官に緊張感が欠けていました。

 ミッドウェー作戦を立案した連合艦隊司令部は、
第二弾作戦に、大本営が要請してきたフィジー、
サモア、ニューカレドニア攻略を加えました。
フィジーとサモア攻略後、ハワイ攻略を実施する
予定でした。

 しかし、図上演習では、最初のミッドウェー
攻略の時からケチがつきました。攻略中に
機動部隊が出てきたら、日本機動部隊に
被害が出て、作戦続行が困難になるという
展開になりました。

 この図上演習の総監である宇垣参謀長は、
山口少将から突き上げられていたので、
再三再四、敵機動部隊が出現する危険性を
指摘しました。

 一方で、空母の被害は1隻と勝手に判断して
演習を続け、1週間遅れで成功するという
都合のよい解釈をしていました。全く無意味な
図上演習といえます。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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山口多聞 翔鶴中破 [山口多聞]

 祥鳳を失った翌日の5月8日、機動部隊は、
弔い合戦とばかりに、ヨークタウンとレキシントンに
攻撃を加えました。

 レキシントンは大爆発を起こして沈没し、
ヨークタウンも大きな損害を受けました。
日本軍は、空母を2隻とも撃沈したと
判断しました。

 連合艦隊は、当初レキシントンをサラトガと
勘違いしていました。ヨークタウンについては、
沈没を免れたにしても、航行不能か戦列復帰には
相当の時間がかかると思い込んでいました。

 一方、日本軍の方は、翔鶴のみ攻撃を受け、
全ての魚雷攻撃をかわしたものの、爆弾を
3発くらい、満身創痍となっていました。
5月17日に、呉に帰還した翔鶴を見た
関係者は色を失いました。

 この時、呉に入港していた蒼龍の乗員は、
海戦の凄まじさを見せつけられました。
珊瑚海海戦は、日本軍の勝利とされており、
翔鶴は中破と伝えられました。

 しかし、翔鶴の被害を見た海軍関係者、
とりわけ空母の乗員は、衝撃を受けて
いました。

 翔鶴に命中した1発目の爆弾が、艦首付近の
飛行甲板と舷側上部を粉々にしていました。
2発目は、後部飛行甲板の被害が大きく、
内火艇が焼けただれた上、機銃座の
射手は全員戦死していました。

 3発目は、艦橋後部の信号檣付近に直撃し、
近くの機銃座射手全員戦死していました。
機銃の引き金に手をかけたまま、ちぎれている
手もありました。戦死者は、100余人にも
のぼりました。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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