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山口多聞 ミッドウェーとアリューシャンの攻略 [山口多聞]

 本国に帰還した山口少将は、桂島を訪れ、
新たに連合艦隊旗艦となった戦艦大和を
始めて見ました。

 海軍部内の航空関係者は、この当時から、
大和をホテルと呼んで皮肉っていました。
ホテルと呼ばれたのは、大和の設備の良さと、
満州にあった「大和ホテル」になぞらえた
ものでした。

 山口少将は、大和を見て、「確かデカイが、
動かなければタダの鉄の塊だ。46cm主砲が
火を噴くことがあるのだろうか。」を感じました。

 大和の中にある連合艦隊司令部に赴くと、
6月のミッドウェーとアリューシャンの攻略は、
決定ずみでした。

 これを聞いた山口少将は、普段の強気な態度とは
一転して、「6月では早すぎる」と感じました。
ミッドウェーとアリューシャンの攻略の概要を
聞かされた山口少将は、計画が杜撰であると
直感しました。

 こう感じた理由の一つは、内地に戻った機動部隊の
人員は、異動が待っていることでした。これまで苦楽を
ともにした搭乗員や乗員の部署替えがあり、顔ぶれが
変わっているはずでした。

 山口少将は、同期の宇垣参謀長に、「補充
要員により、錬度が落ちている。猛特訓
するにしても、後一ヶ月作戦を遅らせ
られないか。」と忌憚のない意見を
述べました。

 これに対して、宇垣参謀長は、「大本営で決定
済みだ。そんなに神経質にならなくても、よいでは
ないか。ミッドウェーは小島であり、セイロンや
ポートダーウィンに比べれば、赤子の手をひねる
ようなもんだろう。」という返答でした。

 さらに、「今度は山本さんと一緒に行く。」と
言い、ミッドウェエーに行くのを楽しみにしている
様子でした。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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山口多聞 駐在時の経験 [山口多聞]

 山口少将が、このような戦略構想を立てた
のは、二度のアメリカ駐在を体験し、滞在中は
パナマ運河などの南米も視察していたから
でした。

 これらの体験を元に、アメリカを屈服
させるには、これくらいの戦略構想が
なければできないと考えていました。

 日本は、この当時、アメリカの石油に
頼っていました。本気でアメリカに
勝つには、カリフォルニアの油田は
確保しなければなりませんでした。

(追記)
 山口少将の戦略をみると、太平洋全体を
見回した壮大な戦略といえます。オースト
ラリアや南米を切り離すというのは、
アメリカを相手にするのであれば、
必要な戦略と感じられます。

 一方で、このような戦略を立てるのであれば、
「なぜ、真珠湾攻撃を行ったのか?」という、
当初からの疑問がでてきます。

 工業力に大きな差がある上、石油を頼っている
アメリカを相手に戦争を始めた理由が
分からないといえます。

 山口少将の戦略でも、ハワイ攻略は後回しすると
なっています。ならば、南雲長官の案の通り、南方に
集中して、アメリカに頼らない石油のルートを確保
すること。

 さらに、太平洋に出て行くときに、後方から
イギリス軍に攻撃されないように、ドイツと
協力してインド洋を押さえるのは必須と
いえます。

 ここまで済んでから、アメリカの出方を見ながら、
オーストラリアを攻略すべきといえます。個人的には、
山口少将は、最も手を組んではいけない山本長官に
ついていくと決めたことが、戦略がチグハグになった
原因と考えます。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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