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山口多聞 1941年元旦 [山口多聞]

 蒼龍は、タービン4基とボイラー8個装備
していますが、排水量が蒼龍より大きい赤城は、
タービン8基とボイラー19個と、蒼龍の2倍以上
搭載していました。

 しかし、搭載されている機関の性能が違うので、
馬力は赤城より蒼龍の方が、2万馬力も上であり、
速力は、赤城のより3.1ノット上回っていました。

 飛龍は、蒼龍より、1000馬力ほど大きく、
当時の空母としては最高速度である34.59
ノット(約時速64km)出すことができました。

 この速度は自動車並であり、これだけ
出せれば、魚雷からも高高度からの
水平爆撃もかわせると、山口少将は
頼もしく思いました。

 1941年元旦、山口少将は、この時、
旗艦としていた飛龍の私室で目を覚まし
ました。清清しい朝で、東京にいる家族を
思いながら、清新な気持ちで東を向きました。

 第二航空戦隊は、豊後水道に面した
大分県の佐伯湾に投錨していました。
午前8時、艦橋前で、軍艦旗掲揚、宮城
遥拝などの儀式を終えると、艦内スピーカーで、
「酒保開け。」の号令が伝えられました。

 酒保は、本来は、日用品や飲食物を扱う
売店のことですが、艦内で飲食を許可する
という意味でも使われていました。

 この日は、艦橋、整備、機関部まで、各部署で
無礼講の祝宴が始まりました。准士官以上は、
士官室に集まり、飲み語らいました。

 山口少将は、将官室で読書をしていました。
山口少将は、海軍でも有名な酒豪でしたが、
昼間から一人であおるような野暮な飲み方は
していませんでした。この日は、お神酒を口に
含んだだけでした。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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山口多聞 空母格納庫 [山口多聞]

 艦長に案内されながら、蒼龍の格納庫に
ついた時、山口少将は、時代の趨勢を実感
しました。

 格納庫には、複葉機はどこにもなく、97式
艦上攻撃機、99式艦上爆撃機に加え、零式
戦闘機が置かれていました。

 まだ機数は少ないものの、格納庫を埋め
尽くすことになることは、容易に想像
できました。

 零戦は、21型となっていました。大陸で
見た11型と性能は同じですが、空母の格納庫に
格納しやすいように、翼を折りたためるように
なっていました。

 97式艦上攻撃機は、翼の半分ほどを折り
たたんで、風防の上に重なっており、両手を
頭の上に当てたような形でした。

 99式艦上爆撃機は翼の4分の1を折り
たためる構造になっていました。

 格納庫は2層で、前部と中央昇降機のところで、
三区画に分かれ、鋼鉄の防火扉で仕切られて
いました。

 上部格納庫の前方には戦闘機、中央部は
爆撃機、後部には攻撃機が、それぞれの
床にある眼環にフックやワイヤーで
係止されていました。

 昇降機は、それぞれの区画に一つづつ
ありました。前部昇降機は、帰還した航空機の
収容に使われ、後部は、発艦する艦上機の
搬出に使われました。

 空母には、格納庫以外にも、整備や修理の
工場があり、空母全体が飛行場と整備工場を
併せ持つ巨大な精密機械のようなものでした。

 山口少将は、格納庫の後、機関室に案内
されました。機関部に入った山口少将は、
巡洋艦の中にいるような錯覚をしました。

 そこには、タービン4基とボイラー8個が
搭載されていました。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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