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山口多聞 東京空襲 [山口多聞]

 アメリカ軍は、真珠湾奇襲に対する報復と、
国民の戦意高揚を目的に、大胆な東京空襲を
計画しました。

 海軍の艦上機では、航続距離が短いため、
基地から発進する陸軍の双発爆撃機ノース
アメリカンB25ミッチェルを艦載機として
飛ばせるように改装しました。

 そして、空母に引き返さずに、通り過ぎて、
蒋介石軍の飛行場に着陸することにして
いました。この作戦を引き受けたのは、
ドゥリットル陸軍中佐でした。

 パイッロットは1ヶ月の特訓で短距離
離陸法をマスターさせられました。
4月2日、ホーネットはB25を16機
飛行甲板の後方に繋ぎ止め、
サンフランシスコを出港しました。

 ホーネットは、ハルゼー中将指揮の
機動部隊と合流し、一路西へ向かい
ました。

 機動部隊は戦闘機を搭載したエンター
プライズ、重巡洋艦3隻、軽巡洋艦1隻、
水雷駆逐艦8隻、油槽船2隻から成って
いました。

 4月18日早朝、日本の哨戒艇に発見された
ハルゼー中将は、計画を中止することはせず、
本来夜間爆撃だった計画を、逆に早めることにし、
昼間爆撃を敢行することにしました。

 B25の航続距離は、2170kmで、現在は
ギリギリの距離でした。ドゥリットル陸軍中佐の
乗る一番機が甲板を疾走し、ふわりと浮き上がり
ました。最後のB25が、ホーネットを発艦したのは、
午前8時19分でした。

 発艦を終えると、機動部隊は無用の長物として、
東に針路を取り、脱兎の勢いで引き返しました。
上空警戒に当たっていたエンタープライズの
戦闘機は、2隻の哨戒艇を攻撃し、撃沈して
います。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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山口多聞 アメリカ軍機動部隊 [山口多聞]

 4月18日午前6時半、太平洋沿岸を
哨戒しながら、釧路に帰投中だった
第23日東丸は、東方海上を見慣れない
飛行機が飛んでいるのを発見しました。

 日東丸は、東京から東方に1296km近くを
航行していました。この海域には、日本の
機動部隊はいないので、あの飛行機は、
敵の哨戒機としか考えられませんでした。

 日当丸は、「敵飛行機発見」と打電しました。
電報を受けた連合艦隊司令部は、浮き足だち
ました。山本長官は、南方作戦の隙を狙って
本土を爆撃されるということを危惧しており、
ハワイの太平洋艦隊を叩くように出張して
いました。

 ハワイ攻撃では機動部隊は健在であり、
南雲機動部隊が南方にいることを確認して、
来襲したのかもしれませんでした。日東丸から、
「空母3隻見ゆ。」という続報が届き、その後、
日東丸からの通信は途絶えました。

 山本長官は、機動部隊であることを確信し、
唇をかみました。連合艦隊では、急遽、作戦
会議を開き邀撃体制をとるように、航空隊に
命じました。

 この時、日本軍が想定していたアメリカ軍の
戦略は、航続距離の短い艦載機を使用すると
すれば、300海里まで近づかないと往復できない
と算出し、攻撃は明朝だろうとしていました。

 そこで、航続距離の長い陸上攻撃機に空母
攻撃用の魚雷を搭載して発進し、木更津
航空隊と土浦航空隊野の零戦が、護衛と
して飛び立ちました。

 この時、アメリカ軍は、日本軍が想定して
いない奇策を用いて、攻撃しようとしている
ことを知りませんでした。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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