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山口多聞 MO作戦 [山口多聞]

 機動部隊は、4月9日のうちにセイロン沖を
去り、東に針路をとりました。

 この時、山口少将が気にしていた最新鋭
空母などの太平洋艦隊は、南雲機動部隊が
セイロンを空爆した前日に、補給地のアッヅ島に
入港していました。そして、空爆の報を聞き、
アッヅを出撃していましたが、遭遇せずに
帰還しています。

 南雲機動部隊は、マラッカ海峡を通り、シンガ
ポール港内に停泊している小沢治三郎中将
指揮のマレー部隊と発行信号を交わしました。
マレー部隊は、カルカッタに向かうイギリスの
補給艦や武装商船、輸送船に攻撃を加えて
いました。

 機動部隊は、ハワイ攻撃以来、息つく間もなく、
オーストラリア、ジャワ、セイロンと南方を転戦して
きました。艦艇も将兵も疲れきっていました。
そこで、一旦内地に戻って艦艇の修理や
人員補充を行うことになりました。

 機動部隊がフィリピン沖にさしかかった時、
第五航空隊の翔鶴と瑞鶴にMO作戦の
機動部隊を担うよう命令がきました。

 MO作戦は、5月中にニューギニア東南部の
ポートモレスビーを攻略することを狙ったもの
でした。

 ポートモレスビー占領後は、ニューカレドニア、
フィジー、サモアなどを押さえ、アメリカとオースト
ラリアの連絡網を遮断するというものでした。

 この作戦を聞いた山口少将は、「空母を南と
北に分けては、中途半端な作戦しかできんな」と、
東の方に去っていく翔鶴と瑞鶴の発光信号を
見やりながら、言いようのない不安にかられ
ました。

 この時、機動部隊が南方にいるときを狙って、
アメリカの機動部隊が動いていました。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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山口多聞 スピットファイヤ対零戦 [山口多聞]

 江草少佐は、零戦1機と爆撃機4機を
失う被害に、真珠湾攻撃以来の大きな
犠牲だったと感じました。そして、死に物
狂いで戦おうと思い立ち、機首を上げました。

 第一撃をかいくぐった零戦が、スピットファイアと
互角以上の戦いをしていました。持ち前の戦闘
能力を活かし、がむしゃらに放つ敵機の弾丸を
かわし、応戦しました。

 さしものスピットファイアも歴戦の搭乗員の
戦闘術に翻弄されて撃墜されていきました。
少なくとも5機に大きな損害を与え、他の
スピットファイアは、基地へ引き返して
いきました。

 スピットファイアの攻撃をかわして母艦に
帰ってきた艦上爆撃機はどれも傷ついて
いました。

 蒼龍に着艦する姿もどの姿も悲痛でした。
江草少佐は、山口少将のところに行き、
「申し訳ございません。貴重な搭乗員を
殺してしまいました。」と、謝りました。

 普段は豪気な江草少佐も、この時は肩を
落としていました。山口少将は、江草少佐の
肩をたたき、「よく戻ってきてくれた」と言葉を
かけました。

 本来ならもっと気の利いた言葉をかけて
励まそうと思っていましたが、言葉を紡げま
せんでした。

 山口少将は、真珠湾以前から猛訓練してきた
搭乗員の姿を思い出していました。そして、
ついさっき見送った空の勇者たちが
インド洋に散華してしまったと、
改めて思い返していました。

 それでも、もし、イギリス軍が戦意旺盛で、
総力を結集して死に物狂いで攻撃して
いたら、大敗を喫していたかもしれません
でした。今回は運がよかったと思って
いました。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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