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山口多聞 海軍体操の元祖 [山口多聞]

 この当時、海軍では、水泳や柔道、
剣道、相撲などの競技はやっており、
体操をしても瞬発力や筋力がつくとは
思わていませんでした。

 そのため、堀内少佐が体操を勧めることを
了承した山口少将も含め、「砲術長が砲術長
なら、艦長も艦長だ。」と陰口が出ていました。

 この陰口を利いた堀内少佐は、砲員を
整列させ、実際に効果があることを見せる
ことにしました。

 まず、五十鈴で使用している14センチ砲の
砲弾(38kg)を持ってきて、これを持ち上げ
られるかと聞きました。

 力自慢の砲員が次々に挑戦しましたが、
ことごとく失敗しました。これを見た堀内
少佐は、「腕力だけでは駄目だ。見ていろ。」
というと、2つ並んだ砲弾の間に入り、片手で
2発の砲弾を持ち上げました。

 数人がかりで運ぶ砲弾を2発も軽々と
宙に浮かせたことに、堀内少佐を馬鹿に
していた砲員も目を丸くて驚きました。

 その後、1940年に、堀内少佐が考案した
デンマーク指揮体操は、海軍体操として
正式に採用されました。

 山口少将が了承したことで、五十鈴は
海軍体操生みの艦となり、五十鈴の乗員は、
海軍体操の元祖から直接指導を受けることに
なりました。

(追記)
 堀内少佐は、1942年1月11日のオランダ領
セレベス島メジナへの落下傘部隊隊長として
参加しています。

 戦後、オランダで開かれたオランダ軍事
法廷に召還され、現地弁護人の必死の
訴えにもかかわらず死刑の宣告を受け、
銃殺刑になっています。

 銃殺刑の際に、目隠しを断り、毅然として
死地に赴いた姿は、武人そのものであったと
伝えられています。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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山口多聞 デンマーク体操 [山口多聞]

 堀内少佐は、ラジオ体操は知っていましたが、
海軍砲術学校の教官時代に、デンマーク式体操に
出会っています。

 玉川学園がデンマーク体操チームを招聘し、
堀内少佐は、模範演技を見る機会がありました。
デンマーク体操は、流麗な動きの中にダイナミックな
躍動感がある体操で、堀内少佐は、すっかり心を
奪われました。

 海軍体操は、すでにありましたが、堀内少佐は、
デンマーク体操を改良して心身ともに鍛えようと
していました。

 堀内少佐は、海軍兵学校時代、たびたび
入院して、学業に支障をきたしており、
体力増進に関心を持っていました。

 しかし、堀内少佐の熱意とは裏腹に、五十鈴
艦内の乗員には、体操は不評でした。堀内
少佐を、「体操狂い」という仇名までつけて
いました。

 この不評は、艦長の山口少将のところにまで
持ち込まれました。山口少将も無視できず、
堀内少佐を呼んで、胸襟をひらいて話を
することにしました。

 山口少将は、堀内少佐がしようとしている
体操について尋ねました。その際、優れた
ものなら海軍で正式に採用してもらえるよう、
海軍省に働きかけるということまで申し出て
いました。

 堀内少佐は、真摯な表情で体操の効能を
説き、射撃訓練につながるものがあると説明
しています。山口少将は、この時始めて
デンマーク体操のことを聞き、興味が
湧いていました。

 そして、山口少将は、「遠慮せずにやって
くれ。」と、堀内少佐に了承を与えています。
これに納得しなかったのは、堀内少佐の
直接の部下となる砲兵要員でした。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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