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山口多聞 東京空襲後 [山口多聞]

 ドゥリットル爆撃隊は、夜間に大陸に
着いたことで、飛行場は灯火管制を
しており、管制灯が消えていました。
しかも、中国軍から、対空砲を
浴びることになりました。

 ドゥリットル中佐は、中国基地に強硬
着陸しましたが、不時着したり、機体から
多くのパイロットがパラシュート脱出しました。
水死で5人が死亡し、8人が日本軍の占領
地域に降下し、捕虜となっています。

 捕虜になった8人は、上海の軍事裁判で、
全員死刑の判決を出さました。ドゥリットル
爆撃隊に参加した80人の内、71人が
無事に帰国し、米中の連携をさらに
強めました。

 ドゥリットル中佐は、アメリカ国民にも
人気の宋美麗(蒋介石の妻)から勲章が
贈られています。

 一方で、東京空襲の電文を受け取った
山口少将は、脳天を割られたような衝撃を
受けました。その場にいた柳本艦長や、
第二航空戦隊幕僚らは、唇を噛みました。

 空母3隻発見という報告から、わずか
6時間ほどしか、経っていませんでした。
艦上機だとすると、東京から700海里よりも
近い距離に空母がいることになります。

 そして、続報として、爆撃したのがB25で
あることが分かりました。山口少将は、「空母に
図体のでかいB25を乗せて、太平洋を越えて
きたのか。」と驚きました。そして、アメリカ人の
負けず嫌いと、プライドの高さを改めて知ることに
なりました。

 山口少将は、東京に住んでいる家族が
心配になり、気が気ではありませんでした。

 東京空襲による被害は、全国で50人ほどで、
山口少将の家族がいる牛込区は被害が大きい
地域でした。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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山口多聞 ドゥリットル爆撃隊 [山口多聞]

 ドゥリットル爆撃隊は、哨戒機に発見
されないように、低空飛行をしていました。
そのため、上空を飛んでいた零戦隊は
見逃していました。

 この日、東京では、大規模な防空演習が
行われていました。午後零時15分、東京
上空に侵入した一番機が、焼夷弾を投下
しました。

 空襲警報が鳴り、高角砲が撃たれましたが、
多くの人は防空演習だと勘違いしました。
高角砲は命中することなく、戦闘機も不意を
つかれたため、迎撃が間に合いませんでした。

 16機のうち13機が東京、横浜、川崎を
爆撃しました。川崎では、日本鋼管の建物や
昭和電工のガスタンクなどが破壊されました。

 残り3機は、名古屋や神戸に爆弾を落とし、
瀬戸内海から四国あたりを通って、九州の
南西海上で落ち合いました。四国沖では、
2隻の漁船に銃撃を浴びせています。

 ドゥリットル爆撃隊は、広島湾桂島上空を
通り過ぎ、飛び去っていきました。

 東京空襲は、当初の予定より10時間も
作戦が早まったので、爆撃隊が大陸に
着いた時は、夜になっていました。

(追記)
 ドゥリットル爆撃隊に対する帝都防衛に
当たっていた東部軍令部は、「敵9機を撃墜。
わが方の損害は軽微なる模様。」と発表して
います。ほとんどの国民は、ラジオ放送を
信頼し、鵜呑みにしています。

 後に大本営発表と呼ばれる、軍部と
大本営による過大戦果と、嘘に嘘を
上塗りする虚偽の成果発表は、この時が
最初と言えます。そして、この後は、終戦まで
続くことになりました。

 今も公文書の改ざんだの、ウソの報告などで
国会を賑わしており、当時の大本営発表を
笑えないといえます。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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