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巡洋艦矢矧 敵潜の追尾 [軽巡洋艦矢矧]

 井上氏の報告で、直ちに左舷の
二連装8cm高角砲が、右に動き
始めました。左30度で停止し、
ぴたりと砲口を水平線に向けました。

 井上氏は、見張所の高さ17mと、
水平線視達距離15000mから、
白波までの距離を13000mと
目測しました。

 敵潜撃沈のまたとない機会でした。
敵は水上に浮かんでいるものの、
肝心の高角砲は、この目標を
とらえていませんでした。

 敵潜は、7000mまで近づいて
きましたが、ついに高角砲が発砲
することはありませんでした。

 そのうち、艦隊は、大きく右に変針し、
敵潜水艦の危険を避けるように行動
しました。井上氏はチャンスを
逃したとしています。

 その後、再び敵潜水艦らしき白い航跡を
発見しました。航跡は、次第に左舷方向へ、
移動しました。ほとんど同時に、右舷10度、
20000m付近に黒い艦影を発見しました。

 よく見ると、黒い艦影は味方の哨戒艇
でした。井上氏は、この哨戒艇に敵潜を、
退治してもらおうと考えましたが、信号で
この哨戒艇に敵潜艦の存在を、教える
すべがなかったとしています。

 この後も、敵潜との追いかけっこが
続きましたが、敵潜は魚雷発射する機会を
なくし、艦隊は、発砲することなく敵潜を、
置き去りにしていきました。

 しかし、数分後に、電信室に、高感度で
敵の無電が飛び込んできました。大きな
艦隊の忍び足は、あてになりませんでした。

 わが艦隊の行動を、敵軍は手にとるように
承知したと、判断するよりありませんでした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦矢矧 豊後水道を抜ける [軽巡洋艦矢矧]

 艦は滑るように走り続けました。矢矧は、
竣工して1年半の若い艦であり、海戦に
参加しながらも、傷と言えるようなものは
それほど受けていませんでした。

 矢矧は、高速で肉薄する水雷線の
旗艦として設計され、艦型は、極力小さく
まとめられていました。7700tの艦に
しては、艦橋はかなり低いと言えました。

 大和から見ると八分の一しかなく、
少年のような巡洋艦といえました。
しかし俊敏性は抜群でした。ふぐのような
艦底を基準に、くるりと転舵するので、
他艦の三分の一秒時で回頭できました。


 豊後水道を抜けると、司令部付の見張長が、
暗黒の海上に異様な白波を発見しました。
見張所には、緊張が走りました。

 折りあしく、艦は、之字運動をして
いました。そのため、確認するいとまもなく、
白波は、黒一色の世界に吸い込まれました。

 井上氏は、ベテラン見張長の眼力に
驚嘆しながら、12cm双眼鏡にかじり
ついていました。

 この双眼鏡のレンズには、夜間見張りの
能力向上のために、特殊な光線吸収液が
塗られていました。井上氏は、これを頼みと
していました。

 双眼鏡を左へゆっくりまわすと、チラッと
白いものが網膜の端にかすかに映りました。
井上氏は、つばを飲み込むと、瞳をこらして、
見つめると、白波であることが確実と考えられ
ました。方向からして先程の目標に違い
ありませんでした。

 「敵潜らしき白波、左30度、同航」と報告
すると、艦橋は騒然となりました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦矢矧 特攻作戦出撃 [軽巡洋艦矢矧]

 1945年4月6日、霧が晴れて、曇りがちの
朝が来ました。

 午前10時過ぎ、「B29が1機、30km」と
報告がありました。井上氏は、敵機の発見は、
新聞記者の特ダネを入手するのに等しいと
しています。

 このB29は、接近すると、断雲の間から、
投弾してきました。これにより、駆逐艦の
1隻が、推進器付近に至近弾をくらい、
出陣不能に陥りました。

 しかも、これにより、特攻隊の全貌は、
B29によって把握されたことになりました。

 この海面は深水が30mほどであり、
闇に紛れて敵機から機雷を落とされたら、
一大事でした。

 そのため、急遽出陣準備に取り掛かり
ました。予定を3時間繰り上げて、
午後3時に各艦が錨を上げました。

 矢矧はこの作戦でも先頭に立ちました。
矢矧には、第二水雷戦隊の少将旗が翻って
いました。

 矢矧の後続の大和にも、第二艦隊長官を
示す将旗が、掲げられました。各駆逐艦も、
整然と航行してきました。

 矢矧が、初めて日本本土から戦地へ
航行したのは、1944年2月6日で、
シンガポールへ向けての航海でした。
この時は、4000kmでした。

 今回は、わずかに1200kmであり、
同じ日本国内でした。井上氏は、戦線が
収縮されたものだと感じていました。

 この日は、どんよりした花曇りの空で、
内海もべた凪でした。中国山脈の姿が
次第に薄れ、前方から国東半島が
大股に近づいてきました。

 さらに、その先には、四国の佐田岬が
霞んでいました。これが内地の見納めに
なるかも知れないので、外界の風景を
見守りました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦矢矧 原艦長 [軽巡洋艦矢矧]

 原艦長の武勇伝に対し、井上氏は、敵発見、
即魚雷発射では、いつ照準したかが疑問だと
感じました。

 敵味方が、水平線内に接近し、濃霧の中で
おたがいに隠顕し出没する戦闘では、
だいたいの目標や方位はわかるので、
魚雷航走距離を、適宜に調整すれば、
特別に目標照準の必要はないものの、
命中率は下がりそうでした。

 一方で、考え方を進めると、敵艦隊発見、
即、魚雷発射では、よほど技量抜群のものが
見張り、補足しない限り、海面に這い回る
公算発射の魚雷が、濃霧の中を突っ走って
くることになります。

 これでは、魚雷発見、即命中となり、転舵回避の
いとまはなくなります。目標は、巨大で安定な
ものと同じとなる理屈です。宮本武蔵はこの瞬間を
示唆していたようでした。


 井上氏は、原艦長に、同じような状況になったら、
見張りの報告として、目標、方向、動勢の全部が
必要かたずねました。

 これを聞いた原艦長は、井上氏が見張長で
あることを察し、「面白い質問だ。目標と
方角だけでよい。場合によっては目標だけでも
良い。」と禅問答のような回答がきました。

 しかし、艦長の要望通りの見張報告だけで
十分と言えそうだと得心しました。公算発射で、
命中させられる艦は、よほど不運な餌食艦
だろうと考えました。

 井上氏は、矢矧の初代艦長吉村真武大佐は、
熊谷次郎直実タイプの武人一途の風格を
持っていたとしています。

 一方、二代目の原大佐は、硬肉長身無髯、
眼は鋭いが、口元には微笑みらしいものが
いつも漂っている戦略家の風貌でした。


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著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦矢矧 不吉な謎のジンクス [軽巡洋艦矢矧]

 井上氏は、髭をそった後、戦争は、
死ぬことより、勝ち抜くことが大切。
その戦闘力の有無は、各人の、精神が
左右する。死ぬことはいつでもできる。

 勝ち抜くのは、非常に難しい。井上氏は、
その目的の両方とも、身だしなみで、
整えたとしています。

 問題は、信号長の言葉を聞く前に、
坊主頭になった人達でした。彼らは
「嫌なことを言う」という顔つきを
していました。

 そして、この夜に整髪した人達は、
ことごとく戦死していました。その中に、
掌航海長も入っていました。不思議な
ものだと思ったとしています。

 戦場では、このような不吉な謎の
ジンクスが存在すると言えます。軍艦も
出撃直前に、お色直しした艦は、撃沈する
確率が高いように感じられます。武蔵は
その例です。


 新たに着任した矢矧艦長原為一大佐は、
新免二刀流の開祖宮本武蔵研究の第一人者
でした。しかも、神技行為を、実戦に即応
せしめた豪傑でした。

 その武勇伝として、原艦長が、水雷戦隊
司令としてソロモン方面にいた時、濃霧の中で
発見した敵艦隊に対し、発見・即魚雷発射を
命じました。宮本武蔵の一定位置に接近した
相手の体を横一線する、間髪刀法でした。

 結果3隻の駆逐艦を撃沈したという
ことでした。狙っての魚雷発射でも、
このような戦果は容易に出るものでは
ありませんでした。宮本武蔵を研究して
得た収穫だと話していました。

 井上氏は、この話に一つ疑問が出て
きたので、自分なりに咀嚼してみました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦矢矧 身辺整理 [軽巡洋艦矢矧]

 出撃時刻が、4月6日午後6時と
告げられました。

 出撃を明日に控えて、航海士の松田中尉は、
海図へ航路を記入し、図書を整理し、忙しく
動き回っていました。艦内居住区では、
身の回りの整理が続いていました。

 そこに、掌航海長がはいてきて、「武人の
たしなみだ。頭髪、ひげぐらいはきれいにして
おけよ。」と言って、室内を見回しました。

 井上氏は、まるで、靖国に直行だと
言われているような気がしました。
当然必要な覚悟とはいえ、敵をやっつける
ことだけしか考えていなかった井上氏は、
内心驚いていました。

 改めて顎を触るとざらついていました。髭を
剃っていようがいまいが、靖国は受けつけない
ことはないだろうと思いながら、ひげ剃りに
かかりまいた。

 すると、今度は、ジャングルひげの信号長が
入ってきました。そして、「みな、いい男になり
おるのう。そんなに戦死したいのか。

 戦死したら戦争はできないぞ。おれの体験では、
出撃前にきれいになったやつは、皆戦死したぞ。
おれは沖縄に戦争に行く。だからこのひげづらで
たくさんだ。

 第一睨みがきく。見張員長(井上氏)も、死にたい
ですかな。あんた。死ぬ準備より、よく見張って
くださいよ。」と大笑いしていました。

 しゅんとなっていた室内が、一度に明るく
なりました。井上氏も、信号長の意見に同感
でした。しかし、半分剃ってしまっている以上、
やめるわけにもいかず、ひげだけを処理し、
頭髪はそのままとしました。

 航海長と信号長の申し出を、半分づつ
行ったような恰好が、自分でおかしかったと
しています。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦矢矧 人間様の陸揚げ [軽巡洋艦矢矧]

 燃料補給すると、矢矧は不要なものを
陸揚げしました。対潜見張演習器は、
未練がないので陸揚げしました。

 そして、陸揚げしたものの中に、人間様も
含まれていました。これは、燃料節約の
ためではあリませんでした。

 陸揚げされた人は、海軍提督候補生と、
子沢山の身で、応召参戦していた人でした。
人には天職があり、適材適所がある。
本人には気の毒ながら、陸揚げしました。

 井上氏は、岸壁から残念そうに手を振って
別れをつげていく人々を見ていると、内心
ちょっと羨ましくなったとしています。

 一方で、ホッとしてもおり、心にかかることが
なくなったとしています。準備を終えると、
集合場所の三田尻沖に向かいました。そこには、
駆逐艦3隻しかいませんでした。

 あ号作戦の集合地には、約60隻、レイテ沖
海戦では、40隻を数えていましたが、今は
4隻しかいないことに、がっかりしたつぶやきが
出てきました。

 しかし、水上特攻の気構えは勇ましいものが
ありました。駆逐艦は、煙突に菊水のマークを
描いていました。

 3人の兵士が、刷毛を動かしており、特攻という
現実を、改めて感じさせられました。程なく、
大和が、護衛の駆逐艦に率いられて、姿を
現しました。

 大和が中心というだけで、不思議な安堵感が
ありました。特攻作戦に参加したのは、大和、
矢矧、冬月、涼月、朝霜、初霜、雪風、霞、
磯風、浜風の総10隻でした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦矢矧 燃料節約 [軽巡洋艦矢矧]

 1945年4月5日、矢矧は、桂島を
出発して、徳山に回航しました。

 徳山は春の時期であり、桜が満開でした。
井上氏は、「花は桜木、人は武士。」と、
古武士の感傷が胸に湧いてきました。

 徳山に来たのは、ここにある燃料廠で
燃料補給するためでした。ところが、
巨大な重油タンクが、底を見せるほど、
少ないという状況でした。国家は、
危急存亡の時期に立たされていました。

 軍艦があっても、燃料節約では戦闘は
できませんでした。出撃するのがやっと
ということになります。

 以前、分隊長が、
「もう矢矧の出撃なんかはせんぞ。」
と言っており、この方が燃料節約に
なるので、現実的でした。

 今回の出撃は、水上特攻なので、重油の
配給はたっぷりあると考えられました。
しかし、現実は、満載の半分にも見たない
量しか配給されませんでした。井上氏は、
これで大丈夫なのかと驚きました。

 改めて計算してみたところ、戦闘は
できそうでした。優秀な速力が出て、
満足な戦闘ができる燃料があれば
いいのであり、余計な心配は、
自分を自身の神経戦でまいらせる
ことになりかねないと、
考え直しました。

 たった一つ残っていた水瓶を割り、城外に
討って出て、籠城の圧迫を一掃した柴田勝家の
故事が、胸に浮かび、この故事にあやかろうと
考えると、胸がスーとしてきたとしています。

 井上氏は、人は心の持ちようだと改めて
気づきました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦矢矧 水上特攻隊 [軽巡洋艦矢矧]

 性に合わない手紙を思い立ったばかりに、
不思議な感覚が気になりだしました。
井上氏は、便箋はやめて、葉書にいつもの
文面をしたためて、投函しました。

 そこに、艦内拡声器から、
「本艦は、水上特攻隊の命令を受けた。」
と、うなり出しました。

 居住区は、たちまち水をうったような、
静寂に包まれました。井上氏も息を
飲みました。

 艦内拡声器は、
「第2艦隊は、沖縄に突入する。終わり。」
と伝えてきました。室内は沈黙が続きました。
井上氏は、深い息が、洩れるのを抑えることが
できませんでした。

 圧倒的な航空兵力で襲撃された呉の空襲を
思い出しました。沖縄についても、敵艦隊との
戦いになるもので、井上氏は、
「下手に長文の手紙を書いたら、遺書に
なってしまう。」と納得しました。
そして、井上氏の覚悟は決まりました。

 井上氏は、居住区を見渡しました。
そこには、先程の書信気分が嘘のように
消え失せていました。

 誰かが、「ちょっと泡を食ったばい。」と、
この場の息苦しさをやわらげるように、
軽い調子で、口を開きました。

 「特攻隊は航空隊の専売特許じゃ
なかですたい。」と井上氏は
付け加えました。強烈なショックに、
押しつぶされたら、士気は
上がりませんでした。

 そこに、上等兵曹が、
「そうですたい。軍人は、国家第一の
消耗品ですけん。」と相づちを打って
きました。

 室内には、うつろな笑い声が起こりました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦矢矧 家族への便箋 [軽巡洋艦矢矧]

 呉の空襲で、工廠内にも数十発の爆弾が
落とされていました。

 多数の建物は、屋根を吹き飛ばして、
鉄骨がむき出しになっていました。
いたるところから、ゆらゆらと
黒煙が立ち上っていました。

 海兵団にも投弾され、数十発の爆弾が
落とされました。防空壕にじっとしておれば
よいものを、怖さのあまり逃げ出した女子
挺身隊4名が、機銃掃射のため倒れました。
真珠湾攻撃をしのばせる光景でした。

 矢矧は、大クレーンに横付けしたのが幸いし、
敵機は攻撃してきませんでした(下手に攻撃すると、
クレーンに激突する可能性があるため)。そのため、
かすり傷一つおうことなく、乗員も無事でした。


 1945年4月3日、神武天皇祭で休養が
許可されました。誰もが、書信で賑やかでした。
いつもは葉書に、“おせん泣かすな。馬肥やせ。」式の
手紙しか送ったことのない井上氏が、その日は、
便箋に書いていました。

 普段は、
「長男は元気ですか。あなたも元気でしょう。
お蔭で私も元気の御奉公しています。 さよなら」
これだけのことを、便りのたびに書いており、
違うのは月日だけというものでした。

 5歳の長男でさえ、聞かされているうちに、
暗記してしまったということでした。長男は、
真っ先に拾い上げて、読んで聞かせ、喜んで
いましたが、奥様は、同じ文句でうんざり
していたようでした。

 たまには長文と心がけて、書き始めた
便箋でしたが、急に身体中から力が
消えていくように感じました。

 不思議な感覚で、矢矧に変わったことでも
起きるのかなと感じました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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