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巡洋艦矢矧 人間様の陸揚げ [軽巡洋艦矢矧]

 燃料補給すると、矢矧は不要なものを
陸揚げしました。対潜見張演習器は、
未練がないので陸揚げしました。

 そして、陸揚げしたものの中に、人間様も
含まれていました。これは、燃料節約の
ためではあリませんでした。

 陸揚げされた人は、海軍提督候補生と、
子沢山の身で、応召参戦していた人でした。
人には天職があり、適材適所がある。
本人には気の毒ながら、陸揚げしました。

 井上氏は、岸壁から残念そうに手を振って
別れをつげていく人々を見ていると、内心
ちょっと羨ましくなったとしています。

 一方で、ホッとしてもおり、心にかかることが
なくなったとしています。準備を終えると、
集合場所の三田尻沖に向かいました。そこには、
駆逐艦3隻しかいませんでした。

 あ号作戦の集合地には、約60隻、レイテ沖
海戦では、40隻を数えていましたが、今は
4隻しかいないことに、がっかりしたつぶやきが
出てきました。

 しかし、水上特攻の気構えは勇ましいものが
ありました。駆逐艦は、煙突に菊水のマークを
描いていました。

 3人の兵士が、刷毛を動かしており、特攻という
現実を、改めて感じさせられました。程なく、
大和が、護衛の駆逐艦に率いられて、姿を
現しました。

 大和が中心というだけで、不思議な安堵感が
ありました。特攻作戦に参加したのは、大和、
矢矧、冬月、涼月、朝霜、初霜、雪風、霞、
磯風、浜風の総10隻でした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦矢矧 燃料節約 [軽巡洋艦矢矧]

 1945年4月5日、矢矧は、桂島を
出発して、徳山に回航しました。

 徳山は春の時期であり、桜が満開でした。
井上氏は、「花は桜木、人は武士。」と、
古武士の感傷が胸に湧いてきました。

 徳山に来たのは、ここにある燃料廠で
燃料補給するためでした。ところが、
巨大な重油タンクが、底を見せるほど、
少ないという状況でした。国家は、
危急存亡の時期に立たされていました。

 軍艦があっても、燃料節約では戦闘は
できませんでした。出撃するのがやっと
ということになります。

 以前、分隊長が、
「もう矢矧の出撃なんかはせんぞ。」
と言っており、この方が燃料節約に
なるので、現実的でした。

 今回の出撃は、水上特攻なので、重油の
配給はたっぷりあると考えられました。
しかし、現実は、満載の半分にも見たない
量しか配給されませんでした。井上氏は、
これで大丈夫なのかと驚きました。

 改めて計算してみたところ、戦闘は
できそうでした。優秀な速力が出て、
満足な戦闘ができる燃料があれば
いいのであり、余計な心配は、
自分を自身の神経戦でまいらせる
ことになりかねないと、
考え直しました。

 たった一つ残っていた水瓶を割り、城外に
討って出て、籠城の圧迫を一掃した柴田勝家の
故事が、胸に浮かび、この故事にあやかろうと
考えると、胸がスーとしてきたとしています。

 井上氏は、人は心の持ちようだと改めて
気づきました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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